私たちが参考にしたのはイスラム教と伊勢神宮とサタンです  (22/05/29)

牧師が教会を建て上げるために、これらのものを参考にしていると聞いたらどう感じるでしょうか?

とんでもない言葉に聞こえることでしょう。
とはいえ、どのようなことであっても良い部分はあるのですから、悪い部分はさておいて、良い部分を参考にすることはできるのです。


@イスラム教

今日最も成長率の高い宗教は残念ながらキリスト教ではなくイスラム教です。イスラム教徒が伝道集会をするのを見たことがあるでしょうか?そんなものはありません。彼らはそんなことをしません。しかし次の6つの理由で数を増やしております。


(A) 高い出生率

彼らは西洋文化にいる人たちに比べてはるかに多くの子どもを産みます。


(B) ゆるい信仰

イスラム教徒と言うと原理主義的な信仰を思い浮かべるかもしれませんが、その構成員の全員が宗教に熱心というわけではありません。しかし、そんな信仰でも許容される寛容さがあります。

信仰に熱心なクリスチャンは「日本のクリスチャン人口は6%かそれとも0.5%か?」という記事にあるように少し厳しい見方をしてしまいがちかもしれません。

イスラムがゆるさと寛容によって拡大しているのを知るなら、私たちも考え方を改めてもよいかもしれません。


(C) 宗教を子どもに教える

それぞれの家庭はその信仰の程度に応じて子供に教え込みます。

先にゆるい信仰について書きましたが、そのような家庭であっても、神を恐れる事、コーランを貴ぶこと、一日5回の礼拝のルーティーンについてを教えています。

それによって自分がイスラム(すべてを神にゆだねることの意味)であることを日々自覚しているのです。


(D) 家族のきずなの強さ

イスラム教の家庭は家族、親戚の絆が強いです。
それは個人主義的な西洋的な家族とは正反対です。

彼らはめったなことで家族のきずなを壊すことはしないので、必然的に同じ宗教を継承していきます。


(E) 結婚相手はイスラム教に改宗することを求める

ゆるい信仰なのでイスラム教徒以外の人と出会い、そして結婚を考えることもよく見られます。

しかし、それでも多くの場合結婚相手には改宗することを願う(※)ことが多いです。

相手方は改宗を求められてもたいして宗教を持っていないことが多いですし、求められる信仰もゆるい信仰だから多くの人は了承するのです。

今日、日本人女性のイスラム教徒が増えていますが、それは結婚によるものなのです。

※ イスラムを信じないまでも、一神教(ユダヤ教、キリスト教)を信じていることを条件とする場合があります。


(F) 高い信仰継承率

ゆるい信仰が許容されることと家族の絆によって、その結果、彼らの信仰継承率は高いです。そのようにして、次の世代に継承されるのです。


A 伊勢神宮

伊勢神宮は1200年以上の間、20年ごとに隣の敷地に移転を繰り返して再建をしております。

牧師でクリスチャンの私が言うのもなんですが、伊勢神宮は実際の値打ちと世界的な評価に最もギャップがある建物だと思います。

今日、歴史的建造物の値打ちは「世界遺産」に登録されるか否かで決まります。しかし、伊勢神宮は登録されておりません。(※)その理由は一番古い建造物でも20年の歴史しかないからです。

※ まあ、もちろん歴史的意義と言う意味で世界遺産に登録する方法もあると思いますが、登録されることに意義を感じていないのでしていないのです。

このことは、伊勢神宮のたぐいまれさとその値打ちは計り知れないものであることがわかります。

そして、そういった形態は自然と次のものをもたらしました。


(A) 形ではなく信仰がなければ途絶えてしまうもろい姿

エジプトのピラミッドは何のために作られたのかいまだにその論議は絶えません。 王の墓であることは確かでしょうが、天文学的な意味や、実は巨大な発電所であったという説もあります。いずれにしても、今日まで継承されておりません。

石造りなのでたとえそれを信じる人がいなくなっても存在し続けますが、伊勢神宮はそうではありません。信じる人がいなくなれば「唯一神明造」(古代形式の木造構造)は何十年もその構造を保つことはできず朽ち果ててしまうのです。

キリストを信じる人の集まりである教会も、本来そうあるべきものです。信じる人がおらず衰退しているのに、その外側だけ形骸化したものだけ残るとしたらそれは悲劇なのです。


(B) 技術の継承

伊勢神宮を作り直すことは単に建物だけの事ではありません。そこに備える超高度な伝統技術で作られた奉納品、備品など膨大なものを作り直すことを意味します。

そしてその準備は再建が終わった翌年から始まります。もしこれが40年ごとであったら技術の継承が難しかったと思います。

教会において、技術を継承し、聖徒達を整えて奉仕の働きに着かせることは聖書的な事柄なのです。


C サタン

私たちはサタンから学ぶことがあるでしょうか?大いにあります。なぜなら「ライフプレイスミニストリーとは何か」という記事にあるようにを最も活用しているのは彼だからです。

教会の働きは95%は教会の中で行われ、外での活動は5%ほどですがサタンの活動は99.9%がライフプレイスミニストリーとなっております。


サタンは誰かをサタン礼拝者、すなわち毎週一回サタン礼拝をする集会に通いサタンを礼拝する人にしようとはしておりません。もちろん、結果的にそうなることは大歓迎でしょうが。

彼がしていることは、何を信じて、何を礼拝していてもよいので、サタンの意思をこの地上で行い、サタンの価値観をこの地上で満たすことができる人です。

教会が、教会堂を建てて、毎週教会に通うクリスチャンを生み出そうとしている間に、サタンは自分の計画を進めているのです。

その結果、この地上は驚くほど悪魔の意思に沿った形で運営されるようになっているのです。


たとえば、麻薬の密売人はサタンに仕えようと思ってしているわけでは無いと思います。もしかしたら、ただ家族を養いたいだけで、良い父親だということもあるでしょう。
ただ、その良い人が結果的にサタンに仕えるのです。(※)

※ このことは、LPMの現場においては逆に考えることもできます。 クリスチャンではない人が神様に仕えるということも起こってくるのです。

ですから、私たちはこのサタンに奪われているLPMという領域を取り戻します。

エペソ人への手紙1章21節―23節にあるようにキリストは一切のものを治めているのですから、私たちもまた、この社会のあらゆる領域を満たしていくのです。