どうしてSCGは一般的には良いと思われることの反対のことをするのか? (23/0927)


この記事は2023年の断食週の「教会を壊す」というテーマの補足として書かれたものです。


上記の記事の中には13の項目があります。

全部に丁寧に答えようと思いましたが、ある人はすでに答えを知っているでしょうし、自分で考えたほうが良いと思いますので書くのをやめにしました。

ただ、2つの項目についてだけ書いておきます。


I 祈り会に来させるようなことをして祈り会を充実させない。


(解説)

もちろん多くの人に祈り会には参加して欲しいです。

※ ちなみに、教会のサイズが大きくなっても参加人数は大して変わりません。それは興味深いことです。

しかし、本当に祈りたい人に来て欲しいと考えています。

私たちがすべきことは、祈り会に無理やり人を連れてくることではありません。

来れない理由が忙しいのあるなら、その人がしていることが尊いことであると認めることであり、

責めを感じて神様に近づけないのでしたら、その気持ちに寄り添うことであるなどして

それぞれの立場にある人を理解することだと考えております。


逆に言えば、これほど、参加しなければならないというプレッシャーを取り除いているのにもかかわらず、これだけの人数(あえてそう表現させていただきます)が祈り会に参加しているというのはすごいことだと思います。


もう一つ大きな理由は、これはライフプレイス・ミニストリー的な考えとも一致していることですが、

その人の日常生活でしていることを尊いことであり、ミニストリーの一部であると認めることにもあります。

つまり、祈り会に来ていないからと言って遊んでいるとは限りません。(別に遊んでいてもよいのですが)

家族で団らんの時を持っているなら、それは家族の絆を強めるための大切な時です。

ゆっくり休みたいのであるなら、それは翌日の職場におけるライフプレイス・ミニストリーの為の準備なのです。


J 見聞きした教会メンバーの問題を祈り会で祈る課題として分かち合って、祈ることによって神様に助けを求めて問題が解決するようにはしない。


(解説)

教会の祈り会というものは、教会の内外で起こった問題に対して祈るものだと思っているかもしれません。

もちろん、それは正しいですが、誰か個人の問題に対して祈りの課題として挙げて、積極的に祈ることはしておりません。

たとえば個人的な交わりの中で、その人だからということで心を開いて話した内容を安易に公開するのは良いことだとは思えないからです。

もっとも、正式なカウンセリングではないのですから、それを聞いた人が祈り会で課題として挙げたからと言って、まず問題になることはないことでしょう。

ただ、それでも教会の方針というよりは方向性の問題として、そういう風にしているということを知っていただきたいと思います。


そして、そのうえで、積極的に祈ることができるようにしていただければと思います。

つまり、問題を打ち明ける人は、このことを祈り会で祈ってくださいということができますし、問題について聞かされた人は、この問題を祈り会で祈ってよいですか?と聞くことができるのです。


このことに関しては、もちろんメリットもあればデメリットもあります。

ただ、今はそのようにしているのです。


以下の2つに関しては

K 罪を犯している人がいても、その罪を指摘して悔い改めさせるようにはしない。

L ある人が誰かを恨んでいても、その人を赦すようにと指導はしない。

以前、雑誌の取材に答えた内容がありますので、そちらをお読みください。

以下のリンクからアクセスしてください。

クリスチャン月刊誌HAZA2019年6月号より転載