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聖霊のバプテスマを受ける方法 (25/05/30)


これは「聖霊のバプテスマとは何か」という記事にあるように聖霊に浸されることです。

水のバプテスマとの違いは、人によって与えられるものではなく神様自身が直接与えることです。

とはいっても、使徒の働きの記録を見ると、人によって祈られることをきっかけに与えられることも多いので、誰かに祈っていただくことは有効です。


これに関しては、教会の種類によって見解が違います。

ペンテコステ派などの聖霊派の教会の多くは、「これはイエスを信じたときにおこる聖霊の内住とは別のもので、それ以上の体験である」と信じておりますが、大多数の教会(聖書的信仰を持つ教会の4/5以上ぐらい)は現在にはもう起こらず、特別な経験は必要ないとしています。

興味深いことは、「現在では起こらない」と信じている教会ではほとんど起こりませんし、多くの「聖霊派」の教会では、子どもでも普通に当たり前に受けております。


つまり、当人が信じている神学が非常に大きな影響を持っているという事です。

それはまあそうですよね、「現在はもうなくなった」とか、「信じたときに聖霊を受けたのだから特別な体験は必要ない。」などと考えていたら、受けれるものも受けれなくなると思います。


異言を語ること

聖霊のバプテスマを受ける事イコール異言を語ることとは言い切れませんが、聖書にその様な記録があることと、目で見えるしるしであるがゆえに、本稿では、ほぼ同じ意味としております。

つまり、

異言を語れないからと言って聖霊のバプテスマを受けていないとは言わないけれど、「受けているというのだったら語ろうよ」と言いたいです。


聖霊のバプテスマについての勘違い

(1)全然異言が出てこない

(回答)「異言の祈りは自分の霊が祈ること」という記事にあるように、多くの人が勘違いしているのは異言で祈るとは自分の舌が聖霊によって勝手に動くことだと思っていることです。少なくとも祈りはじめは、全ての祈りがそうであるように、自分の意思で舌を動かす必要はあることでしょう。

初めて聖霊のバプテスマを受けるのでしたらなおさらです。


(2)聖霊が満ち溢れるぐらいだったら、すごく聖い存在になれる

(回答)きよめの為には役立つでしょうが、期待しすぎてはいけません。私達の聖化の戦いは、私達の意思が大いに関係しており、神様もそれを妨げるようなことはなさらないからです。


(3)聖霊のマニュフェステーション(聖霊による感動、笑い、倒れる、震えetc)を体験しているのですでに聖霊のバプテスマを受けているはずだ。

(回答)おそらくそういった体験は神様からのものなのでしょうが、だからといって既に受けているとは限りません。異言を語ることができないのでしたら、そうなるように求めましょう。


具体的な方法

.(1)誰かに祈っていただく

先に書いたように必須ではありませんが、大いに有効な方法です。


(2)求める気持ち

求める気持ちと言っても、未体験なものを求めるわけですから、具体的にどうすればよいかは分かりにくいでしょうがとにかく求めることでしょう。


(3)ネガティブな感情があるのでしたらやめましょう

もちろん、神様が望まれるのでしたら、私達がどう思おうが、与えられるものは与えられますが、それでも、先に書いたように、まちがった先入観、先に受け取った教義による妨げ、あるいは恐れなどによって躊躇しているのでしたら無理に祈られる必要はありません。

かえって失望につながるからです。


(4)人間的な手助け

霊(自分の霊+聖霊)があなたの舌を支配する為にある程度の呼び水的な事があると良いでしょう。

ここでいう呼び水とは、あなたが自分の意思で舌を動かして動きやすくすることです。

多くの教会が採用しているのは「ハレルヤ、ハレルヤ」と言い続けることです。


異言をまねる事

異言を語れるようになる上で「ハレルヤ、ハレルヤ」と言い続けることは大いに助けになりますが、それでも充分ではないかもしれません。

なぜなら、その言葉を語ることに集中して、異言が出てこない場合もあるからです。

だったら、まどろっこしいことをしないで、「シャンバラバラ」と異言をまねた方が良いと思います。


この方法によって異言を語れるようになる確率は飛躍的に向上するのですが、欠点は、霊の介入をあまり感じないときに、それをしても効果は感じれず、これって、「自分がしゃべっているだけ?」という疑念が生まれることです。

そして、困ったことに、周りにいる人たちは「あ〜異言が出てきた。やった!」などと喜び始めることです。


まあ、万能な方法はありませんが、いろいろやってみるのは良いことだと思います。

最終的には神様の主権によるものですが、

大切なことは、異言が出てきたとか出ていないとか、あるいあh自分で聖霊のバプテスマを受けたという確信があるとかかないとかというよりも、

祈り続けることです。

いくら劇的な体験をしたとしても、祈り続けない人がいますし、逆に、対して感動も確信もないけれど信じて祈り続ける人もいます。

そして、長い目で見たら後者の方が聖霊に満たされ続け易いのです。