召しと主の備え 来日と成長 チャレンジと成熟
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深みに落ちこんで大変だった |
5章、チャレンジ
北海道インターナショナルスクールの学生数増加と教会の成長にともなって学校側との間に問題が生じ始めました。私達はもはや学校の片隅を間借りしている小さな群れではなくなったからです。今までマクレーン校長先生の好意で場所を提供していただいていたのですが、遅くとも夏までにはHISを出て行かねばならなくなりました。
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外観 |
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私達の条件は50坪以上の面積、20台以上の駐車場、地下鉄駅から歩いていける範囲、大きな通りに面していること、賛美の音を自由に出せる事でした。しかし私達にはその条件に見合う建物を借りる資金が全くありませんでした。しかし主は永井ビルの家主である永井さんに触れて下さってその条件に見合う建物を与えてくださいました。これは現在私達が集い喜びを分ち合っている現在の建物であります。
HISでの最後の集会は音楽室で行われた祈り会でした。私達はそこにあったトウモロコシの形をしたマラカスを手に手に持って喜び踊りました。そう、それは来るべき大いなる収穫を物語っているようでした。
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新しい建物での集会を始めましたが、その場所を自分達で改装せねばなりませんでした。それで、一人一人のメンバーが協力し、清掃を始め、天井のペンキ塗り、看板の製作、集会所内の物置の設置など私達の手で行いました。このチームワークにより、私達は一つとなりました。
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とりあえず新集会場で集会を始めたものの、椅子が整っておらず、寄せ集めの椅子を使って集会をしていました。それで私達は、主がマクレーン校長を通して再び好意を与えてくださるように祈りました。それで、HISの好意で、私達が注文した100脚の椅子は、HISのコンテナに便乗させていただくことができ、運賃無料でアメリカから私達の教会まで直接届けられました。
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6章、成熟
1998年秋、プエブラの主任牧師エルネストが来日。 エルネスト牧師を主賓に迎え、札幌の牧師、霊的リーダーを招いて新しい集会場の献堂式を行いました。アミスタ・デ・プエブラの主任牧師である彼の来日は大いに意義があることでした。私達がアミスタ・デ・プエブラの霊のおおいのもとにあるということを知るのは祝福です。彼らは絶えず、札幌クリスチャングループと日本のために祈ってくれています。 この献堂式の際に、岡田夫妻の副牧師の任命式も行われました。私達の教会は確かに次の段階に進んでいきました。
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1998年11月、SCGホームページが公開されました。この働きは全く無の状態から始められ、丸一年という時間をかけて準備され、ついに公開となりました。
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1999年6月、再びカンシオン社は札幌クリスチャングループの協力によってさらに2枚の日本語版CDをレコーディングしました。
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最初の教会オリジナルのトラクトは簡単な御言葉と連絡先が書かれた手書きのとてもシンプルなものでしたが、少しずつ進歩し、コンピューターでつくられるようになってきました。2000年には入稿に至るまで全てデジタルのDTP版が出来あがりました。このトラクトの歴史はそのまま教会の技術変化の歩みでもあります。
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私達の教会には「愛のおくりもの」というタイトルのトラクトがあり、これは多くの伝道の現場で用いられており、日本だけでなく、ロシア、ペルー、メキシコ、スペイン、タイ、韓国、カンボジアなどでも用いられています。このトラクトは、シンプルですが、伝道には効果的です。幾つかの教会の要請により幾つかのバージョンがつくられました。
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1999年8月 岡田家族が1年間メキシコへ留学, 岡田家族は、アミスタ・デ・プエブラからの奨学金を受けて、同教会内の聖書学校であるESPANA(Estandarte Para las Naciones )での学びと、実践的なリーダーシップと奉仕の訓練を受けました。
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アミスタ・デ・プエブラには、枝教会が50以上あります。メキシコの教会はダイナミックに成長しています。「ESPANA]には、ドイツ、スペイン、アルゼンチン、ロシア、韓国、日本からの学生がいます。メキシコでの充実した時を終え、岡田家族は2000年8月に札幌に帰ってきました。
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2000年夏から、金澤恵は聖書学校での学びと実践的な訓練のために、メキシコのアミスタに1年間留学しています。彼女は、2001年7月末に帰国の予定です。