終末における正しい世界観の学び(10のポイントその2) 2010/1/15
経済は支配のための最大の武器
この世界は悪しき力に支配されていることを前回学びましたが。その計画を実行させる道具とはいったいなんでしょうか?それはサタンの計画書を握り締めたエージェントが社会の隅々まで配置されているという意味でしょうか?
答えをいいますと、すべての人が、サタンの計画を知っているわけではありません。悪を行っている多くの政府や企業の上層部であっても、サタンに魂を売り指示を受けているわけではなく己の金銭欲、名誉欲を満たす行動が結果的に用いられるケースのほうが多いのです。
また、それよりさらに多くの人たちが、善良な人が良かれとしていることが知らないうちに利用され、結果的に国を滅ぼしたりサタンの益となってしまうのです。
善良な人が利用されたといえばもう随分前の話になりますが、・「外国人指紋押捺問題」はわかりやすい例でしょう。
お金や経済についての基礎的な世界観を持つ為にまず以前書いた「お金のシステムとは何か」を見て復習して下さい。また、「大淫婦について」の記事も大きな参考になります。これはスペインとりなしツアーの中で啓示されたことです。
教科書にも載っていたので「東インド会社」という名前をみなさんはご存知でしょう。植民地支配で搾取をしていたのは実質的には政府ではなく会社組織なのです。その会社の便宜を図るためにイギリスは軍隊を送り植民地化していたのです。ですから植民地化政策によって国そのものが豊かになるとは限りません。会社がもうけることによって、そのおこぼれを政府と国民が受け取るのです。黄金時代と言われた16世紀にスペインは2度も国家が破産していることがそれを物語っています。
アヘン戦争においてもアヘンを売って利益を得ていたのは会社組織でしたが、アヘンの密輸を禁じた中国に戦争を仕掛けたのはイギリスの軍隊でした。世界中で見られる紛争の多くはこれに似たり寄ったりです。会社の利益の為に国が動かされ、多くの血が流されるのが近代の歴史の特徴であると言えるでしょう。
アメリカで出版された下記の本の著者がキャスターとの対談の中でベトナム戦争にことを「国家と国民にとっては敗北だが企業にとっては勝利だった。」という言葉が印象的です。
「エコノミック・ヒットマンが語るアメリカ帝国の秘史」 という記事がありますが、これを見るなら、今日、国家間の諜報、工作活動が007のようなスパイによってではなく、企業に任されていることがわかります。企業が政権を転覆したりしてNW○の推進に用いられるのです。企業の人間の全てがサタンのアジェンダ(行動計画)を知っているとは限りません。自分の利益の為に動いているだけの場合も多いでしょう。たとえそうであっても、結果的にサタンのアジェンダに用いられてしまうのです。
上記のVIDEOを見ると対談の中で「パナマ運河を自国に取り戻したパナマの大統領が暗殺され、将軍も自分の死を予感し、家族を呼び集めて別れを告げる場面は涙を誘います。」
このように、命に代えてでも国民の利益を守るリーダーを持った国は守られますが、多くの場合、死かワイロを受けるかの選択を迫られます。あるいは弱みを握られコントロールされるか、弱みがなければ工作活動によっておとしめられるのです。これについては、後で「政治のシステム」の学びの中でもすこし書いていきたいと思います。
エシュ口ンという興味深いイタリア映画(レンタルビデオショップにも置いています)を見るなら、企業の力が国家の諜報機関よりも権威を持っているさまが良く描かれています。
ミッションスクールが霊的な力を失ってしまうのも同様の理由です。学校法人化され自治体の援助を受けるようになると職員をクリスチャンだけ雇うことはできなくなります。同性愛の教師も雇わねばならなくなるでしょう。それゆえ衰退の一途をたどることになります。
以前「お金のシステムとは何か」でも触れましたが。株とはモノポリー(独占)を促進することになります。株価はいくらでも操作できます。銀行が危ないといううわさを立てれば株価は一気に下がります。そして、政府が援助をすると言えば一気に上がります。これによって2003年にりそな銀行は二束三文の株価になったところを買い漁りされ株式の多くが外資に流れてしまいました。
経済恐慌や、意図的な間違った会社経営を通じていずれ、日本の大企業のほとんどは外国の資本傘下になるでしょう。
ある人は、別に自分が受けるサービスが外国資本であるかどうかは気にしていません。しかしボリビアの水戦争の事例を知るなら、インフラの民営化が国にとって命取りであることがわかるでしょう。このいきさつについても上記の「エコノミック・ヒットマンの本」は触れています。
このようにお金という存在が世界を支配する血液となっているのを見るなら、お金に対する理解も根本から変わっていくでしょう。
これまでキリスト教世界ではお金に対して「お金そのものは中立であり、使い方によって良いものにも悪いものにもなる」というような教えがなされてきました。日常生活レベルにおいては確かにそのとおりです。しかし「父の時代」の終末におけるとりなし手はそれ以上にお金の背景を知らなければなりません。