6) 神の解決「権力によらず能力によらず私の霊によって」


それでは、この事柄に対して神はどのように解決策を持っておられるのでしょうか。

実はこのゼカリヤ5章というのは4章の対比として描かれています。サタンの仕業というのはいつも神の御業のまねっこにすぎません。

4章6節において、有名な言葉である『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって。』という言葉が出てきます。

2つの章が対比していることをあらわしているかのように4章10節の「全地を行き巡る主の目である。」という言葉に対応して5章6節の「サタンの全地を行き巡る目」という言葉があります。つまりサタンの仕業は、主の御業のコピーに過ぎないのです。

新改訳聖書やその他の聖書でもこの5章6節は「罪」と訳しています。それはもはや意図的に聖書が改ざんされているとしか思えません。

Go・gleこそ監視社会の象徴」という記事にあるように、サタンはインターネット技術によって人々を監視し奴隷化しようとしていますが「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。」(第2歴代誌16:9)ですから、5章の事柄の解決が4章にあるとするなら、それはまさに『権力によらず、能力によらず、主の霊によって。』という言葉のとおりでしょう。


主の御業のコピーに過ぎないことをあらわしているかのように5章に2人の女が出てきます。がそれに対応するように4章にも2人の油注がれたものが登場します。この二人とはもちろん黙示録11:3−12 に登場する2人の預言者です。

この二人の預言者はあたらしい一人の人としてのユダヤ人と異邦人である、あるいは死を経験せずに天に上げられたエリヤとエノクという節がありますが、いずれにしてもこの二人は間違いなく、単に霊的な事柄だけでなく、世の終わりにおけるNW○の仕業や第三の天、そしてサタンがマーケットプレイスミニストリーによって動いているということを熟知していることでしょう。

そうであるなら、これからの時代に必要とされているとりなし手とは「二人の預言者」のような器をとりなし祈る、真実に目が開かれた数多くの祈り手なのです。


われわれはこのゼカリア4章6節の言葉に従い、5章11節に書かれた「設置された女の為の神殿」が砕かれるように祈った場所はF・・R・・Bの建物の前、またワシントンタワーの前などで祈りました。


■注

 「祈りの為のポイント」や「神が与える戦略」などについては後日、6月24日から始まる連鎖断食「アメリカへの祈り」関連の記事などを通じて伝えていきます。


第7に続く

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