(マラキ4:5-6) 見よ。わたしは、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」
私が短期ロシア宣教に行った時に、礼拝の後で会衆一人一人の為に宣教チームの全員で手分けして祈ることになりました。私についた通訳者はもろくに英語がわからない人でしたが、私は多くを語る必要が無いことに気がつきました。ただ「あなたと父親との関係はどうですか」と尋ねるだけで多くの人たち(特に男性)が心触れられ泣き出したのです。
この問題はロシアだけではありません、世界中で、日本で父親と言う存在が破壊されています。
多くの人が父親との関係で傷ついています。その癒しにもっとも効果的なのは父なる神の愛を知ることなのです。先に書いたように、父親はこの地上で神を代表している存在であり、その本体は父なる神なのです。
そして父なる神との関係が確立されるときに、地上で受けた傷もやわらぐのです。地上の父から受けた傷がやわらぐときにさらに父なる神を体験できるようになります。
こういったテーマで他にもたくさんの良い教えがありますので別の角度から見て行きたいと思います。
「イエスは私を見たものは父を見たのである」と答えましたが、その後で私達が孤児にならないように(ヨハネ14:16-17で)御霊を紹介してくださいました。
今日、私達が父なる神を体験するのは御霊の啓示によるのです。そしてそれは困難な中を通っている人に対する慰めであり、神の愛を体験することでもあるのです。
(ローマ5:5) この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
今日、異言の祈りがないがしろにされています。20世紀初頭に注がれた聖霊の顕著なしるしは「異言」でした。父の時代(聖霊、子、父という時代区分)について書きましたが、それら一連の流れは聖霊に触れられることから始まりました。
「聖霊のバプテスマを受けて異言を語ることがすべての解決である」とはいいませんが、(※注)この考え方については教えのコーナーの「どうしてキリスト教会にはたくさんの教派があるか」をご覧ください。)
それでも今日、神によって与えられたこのもっとも強力な武器のひとつが有効に用いられていないのも事実です。
聖書には(1コリント14:4)「 異言を話す者は自分の徳を高める。」と書いているのですから、その言葉を素直に受け取ろうではありませんか。
現在、聖霊によって触れられる現象が世界中で広がっていくにあたって異言を語ることがないがしろにされています。だから、今このときにこそ原点に帰って異言の祈りをしていくべきなのです。