2009年の第2回目連鎖断食のデボーションのテーマ:父について

聖書では神を父なる神と表現しています。でもそれは神が父親のような性質を持っているから、聖書はそう表現しているわけではありません。

実際にはその逆で、神は御自身の性質を地上で表わす為に父という存在を創られました。神は全能ですから、単に地上で人を増やすだけが目的でしたら、ほかにも方法はあったはずです。

しかし神は、両親を通じて、家族という形態を通じて人を増え広がらせることを選びました。それは神の性質の一端を父親が雛形として表すためです。

それゆえ正しい父親像を持っていない人は、神についてのイメージを正くことが困難なのです。今日父親という存在がサタンの攻撃のターゲットになっています。現代社会でよく見られる父親のイメージは「忙しすぎる、無関心、関係がもてない、あるいは虐待する」といったものです。人々が父親に対して正しいイメージを持つことが出来ないならば、容易に神のイメージを捻じ曲げられてしまうのです。


イエスが「誰をも父と呼んではならない」(マタイ23:9)と言われたのは、自分の父親を父と呼んではいけないという意味ではありません。もし父と呼べないのでしたら「父」という言葉がその意味を成さなくなってしまいます。

この言葉が意味することは、父なる存在の本体は父なる神であり、地上の父はそれを代表しているに過ぎないということです。神は第一のものを第一として教えるためにあえてこのような言葉を用いられましたので、その第一の原則を理解しているなら、当然のことですが「父」という用語を用いることは問題ありません。

ちなみに聖書が「誰に対しても教師と呼んではならない。」と語っているのも同じ理由です。大切なのは、神こそがまことの教師で他の教師は教師としての神の機能を分与されているに過ぎないということを理解することなのです。

天の父についての理解が与えられるときに、地上の父との関係で受けたトラウマが癒されます。また、地上の父との関係が癒されるときに天上の父に対する理解が与えられます。

そのような私達の個人としての地上の父や天の父との関係とは別に、教会の流れが「父」というキーワードであらわされるものに入っています。


20世紀以降、教会がダイナミックに動いています。神は「父、子、聖霊」の本来あるべき姿をダイナミックな形で示され始めました。1900年から終末にかけての50年後との時代区分を、聖霊の時代、子の時代、父の時代の三つに分けることができると思います。

それらについての解説はこちら。少々長文です

このような時代において私達が役割を果たしていくために、一人一人が個人として整えられていく必要があります。先に出した祈りの課題とは別にみなさんのデボーションの為に父について書かれた御言葉を一週間の連鎖断食期間の間、基本的に毎日提供していきたいと思います。

予定

第1日目・テーマ1:父の回復

第2日目・テーマ2:父は時を定める

第3日目・テーマ3:神の家族

第4日目・テーマ4:備えと守りを与える

第5日目・テーマ5:父は愛を与える

第6日目・テーマ6:父は栄光を与える

第7日目・テーマ7:完全なる回復