第6日目:異邦人が祭司となる

この教えのタイトルは本来「ユダヤ人と異邦人が一つとなる」とつけるはずでした。ユダヤ人と異邦人がひとつになる事は(エペソ2:15&3:6)にあるように「奥義」と呼ばれるほど重要な出来事です。

しかし、今回、あえてタイトルを「異邦人が祭司となる」としたのは、もし、神が意図した以上の格差をユダヤ人に対して感じているなら、本当の意味でのひとつにはなれないからです。

私はユダヤ人に関するミニストリーに関わるものとして、ユダヤ人クリスチャン(メシアニックジュー)の価値を大いに認めています。そしてまた、今日のメシアニック・ジュー牧師たちの活動は非常に有用です。地名や人名をヘブライ語で理解できるだけでも外国人とは比較にならないほど多くの啓示やメッセージを彼らは受け取ることができるゆえ彼らの教えは深く、また今日のように福音のユダヤ性が理解されるにつれてその価値はますます高まっています。

けれども、その反動としてユダヤ人ビリーバーから教えを受け取るだけで、外国人からは霊的な意味では何も与えるものが無いと考えてしまうならそれは行き過ぎた考え方です。

※ 「異邦人」という用語はユダヤ人にとってなんのかかわりもない異教徒を意味するので聖書信仰の異邦人をこの記事では「外国人」と表記しています。

ゼカリヤ書8章23節に描かれているような「外国人がユダヤ人にしがみつき、霊的祝福を求める状態」だけではなく、また、ローマ15章27節に書かれているような「外国人はユダヤ人に物質的に与える立場あって霊的にはユダヤ人から受け取る側」というように立場を限定してしまってはなりません。
外国人も彼らに霊的に与えていく祭司とならなければならないのです。


神が意図している以上のユダヤ人と異邦人の格差をもたらしている大きな2つの原因があります。

1) ホロコーストの歴史によって植えつけられた異邦人への罪責感。

2) 福音のユダヤ性の回復によってもたらされたユダヤ人の優位性

これらの事は否定できませんし、ユダヤ人には長子としての優位性はあるでしょうがそれでも、完全なる回復の為には神が意図している以上の格差があってはならないのです。


イスラエルに関わる三つの波)という記事にあるように、これまでイスラエルに関わる外国人の働きは「クリスチャンシオニズム」と「メシアニック・ジュダイズム」の二つがありましたが、外国人が祭司となるために神は「ダビデの仮庵の回復」という第三の波を起こされているのです。

ダビデの仮庵の回復とは何か

ユダヤ人の帰還を通じて外国人が 祭司・レビ人とされる

※ 今回の記事の多くの部分はエベネゼル緊急基金の小冊子No.8「ダビデの仮庵の回復」からの引用です。


今日、世界を席巻している「ダビデの幕屋の回復運動」の本質は、異邦人が祭司となることです。そのような回復もまた(使徒3:21)に書かれた「回復される万物」のひとつなのです。


■ デボーション

1) 神が意図している以上のユダヤ人に対する霊的格差を作り出してしまっていたなら、その考えを改めましょう。

2) 私達にアイデンティティーを与えるのは神です。神に近づきましょう。