第6日目:あたらしいひとりの人

■ユダヤ人の完成

ユダヤ人の完成という言葉は一般的に使われませんが、これは重要な事柄です。

ユダヤ人が今日まで守り残されていることの神の計らいを見るときにユダヤ人がユダヤ人というだけで、それだけで十分だと考えてしまうと考えてしまうかもしれません。

しかし、それは 二契約神学(wikipedia)につながるわなでもあります。彼らは完成されなければなりません。

完成といっても、別に複雑なことではありません。それは(ローマ11章12節)にあるように真のメシアがイエス・キリストであることを見出し、信じ救われることです。

そして、その救いは、キリスト教に改宗するというよりは、彼らがユダヤ人である枠の中で救い主を信じる必要があります。それは、「メシアニックジューの存在意義」という記事にある通りです。


■異邦人の完成

ローマ11章25節)にそのような記述がありますが、異邦人の完成とはなんでしょうか。もちろん、その定義はさまざまです。

ここでは「異邦人の完成」の定義のひとつは異邦人が「ユダヤ人と新しい一人の人となるために整えられること」だといたします。

すなわち、福音とはもともとユダヤ的な土台を持っているということを理解するといったことがらです。

別にユダヤの三大祭「過ぎ越し、五旬節、仮庵」を祝わなければならないとは言いませんが、その意味を理解し、少なくともクリスマスがキリストが生まれた時ではないということを理解するぐらいの事は必要でしょう。

もっとも「クリスマスはキリスト教の文化である」にあるようにクリスマスを祝ってはいけないといっているわけではありません。


■万物の改まる時

万物の改まる時というのは(使徒3章21節)に書かれた言葉です。

イスラエルの回復によってキリストの再臨がもたらされる」という記事の中でも紹介しましたが、もちろん成就されるべきことは、福音が全世界にのべ伝えられること(マタイ24:14)などさまざまな事柄がありますが

「新しい一人の人の誕生」すなわち、完成した異邦人と完成したユダヤ人がひとつとなることも大きな出来事なのです。


■ 終末の戦いへの備え

黙示録11章から終末における神の陣営とサタンの陣営の戦いが出てきます。
戦いといっても、私たちの戦いは血肉によるものではないので武装するわけではありませんが、サタンは「マーケット・プレイス・ミニストリー(要ログイン)」で動いているので、政治的、経済的、軍事的な力でクリスチャンを圧迫することでしょう。

そのような時代に二人の預言者が登場します。(黙示録11:3

この二人は異邦人とユダヤ人であるといわれており、二本のオリーブの木は(ゼカリア書4:11−14)にも登場するものです。

彼らは「ワシントンDCとりなしレポート」(要ログイン)にあるような終末の戦いに用いられるものたちです。


そのようにあたらしいひとりの人の完成は、さまざまな意味において終末を迎えている私たちとって大きな意味があるのです。


祈り

1) 新しい一人の人の完成のために。

2) イスラエルおよびヘブライルーツを理解するために

3) 終末への備えのために