7日目6/18(土):荒野に見えない荒野の危険

荒野の体験は一度きりではありません。

目に見える大きな荒野を出て、一息つける状態、祝福を体験する状態にあったとしても「荒野の生活様式」をしていたり、「荒野を出た後の生活様式」である(1)代価を払う(2)種をまいて収穫する。(3)敵と戦い奪い取る生活をしていないなら、それは約束の地ではなくプチ荒野にいることを意味します。

また、荒野を抜けて順風万帆な生活をしていると思ったとしても、はじめの愛から離れているならそれは荒野なのです。なぜなら、「荒野を出るための準備」の中でも語ったように、主と婚約関係が結ばれたことが荒野の大きな意義のひとつだからです。


プチ荒野はかえって厄介です。 一見荒野に見えないからです。そこで戦う気力をうせさせられたり、生ぬるくなってしまうなら、荒野にいるときよりかえって悪い状態になってしまいます。

なぜならそのようなものを主は、吐き出してしまうからです。(黙示録3:15−16


 

デボーション

1) 自己満足に陥ることなく、自分が荒野にいないと考えている人も吟味しましょう。

2) 絶えず主を求め、霊的状態を新鮮に保ちましょう。

そのために婚約指輪である御言葉と、聖霊を求めましょう。