祈りの祭典in北海道2008における沖縄への祈りのレポート
2008年7月6日(日)

主を賛美します。今回の祈りの祭典の中で大きな破れが起こりました。「今回もっとも重要な出来事は沖縄へのミニストリーだった。」とトム・ヘス師がコメントするほどの大きな出来事でした。

先のとりなし通信に、「人間にとって偶然に見えることが神には必然であることに「とりなしの祈り」の面白さがあります。このような大会ですから何かのハプニングも起こることもありえます。しかし、人間にとっては問題であっても神にとっては問題ではありません。」と書きましたがその直後に、その言葉のような出来事が起こりました。

メインゲストスピーカーの一人のマタイ・クルビラ師が来日できなくなり、それによって特別に「沖縄への祈り」というテーマで集会を持つことができるようになったのです。


祈りの祭典というイベントで表に見える出来事にはその現場だけのことでなく、主が道を整えその過程があるのです。祈りの祭典とは祈りの塔と呼ばれる連鎖の祈り会で祈られた事柄の集大成なのです。

事の起こりは2年前に私がエルサレムの祈りの祭典に参加した後のことです。そこで受けたビジョンや情熱に従って聖書学校で祈りの塔について、また、日本に与えられた日の昇る国という神の約束について学生たちに分かち合いました。

ところが、その学生の中に、沖縄からの来られた方がいて「沖縄人である私は自分が日本に属しているとは思えないし、沖縄にも日の昇る国という約束が与えられているかどうかはわからない。」とコメントをしました。私はそのコメントに対してうまく答えることができませんでしたが、その言葉はそれ以来私の心の中に一つのテーマとして響いていました。


北海道出身のY夫妻は私たち夫婦の親友でありYWAMのディレクターです。遠く離れて住んでいるにも関わらず、彼らとは毎年会う機会が与えられていました。

2007年末に会ったときに、2007年11月の合同賛美と祈りの集会での沖縄への祈りのミニストリーがあった後であったこともあり、「分裂していない一人の人」であるべき日の昇る国の体の欠けた部分を満たすために、私は沖縄が北海道での祈りの祭典に参加するべきであると説明しました。

そういったこともあり、Y師の呼びかけに応答した人達が沖縄から7人の人たちがツアーを組んで祈りの祭典in北海道2008に参加しました。また、沖縄のI師もまた音楽ゲストとして呼ばれることになりました。ですから、少なくとも合計8人+札幌にいる沖縄の人達が来たのです。

Y師の言葉を借りるなら、熱心に誘ったわけではないが、一人一人が聖霊に動かされて来ることを決めたそうです。


「40日連鎖断食と祈り」のメーリングリストの中ででも何度か沖縄について書いてきましたが、大会が近づくにしたがって沖縄への重荷がさらに強くなってきていました。大会の当日の午後、主を求めて祈っているときにあることが示されました。それは今、北海道が受けている祝福の流れがいつ始まったのかということです。もちろんそういった事はさまざまな定義があるので、いろいろな解釈があります。たとえば2001年から始まり、毎月行われている合同賛美と祈りの集会が始まりであるということもできるでしょう。けれどもその時主は2005年に起こった出来事を示してくださいました。

2005年にチャックピアス師が来られて大きな祝福となったことはすでにご存知でしょうが、そのほかにも重要な出来事がありました。それは2005年の夏に沖縄のある牧師に北海道から5人の牧師を招待したいという願いが与えられたことです。それでY牧師、Y牧師、N牧師、S兄弟、私の5人が沖縄に行きました。航空券代リゾートホテルへの滞在費など全ては沖縄の教会もちでした。

経済的に余裕があったわけではないにもかかわらず、主からの促しによる強い願いによって沖縄の牧師は北海道から人々を招くことを決心したのです。 またその教会と関りを北海道が持つことになったのはY牧師がその教会の伝道チームを札幌に招いたことにあります。

いくつかの教会を訪れ、久高島をはじめいろいろな場所にとりなしに行くなどしました。そういった中でもっとも大きな出来事はこの5人に特別な連帯感と親密さが与えられたことです。私たちが受けている祝福の基は沖縄のとりなしがあったといえます。


マタイ師が来れないことがほぼ確定し、大会当日の午後に実行委員が集まりマタイ師のメッセージの代わりに沖縄への祈りをするということで一致しました。そして、もともと、その時間に沖縄県からI.師の特別賛美がプログラムされていたことも、確認となりました。

Y師は北海道に到着後、まだ沖縄への祈りの時間を持つということを知らされる前から「私が沖縄に行ったのはこのときの為かも知れない。」とコメントしていました。


木曜の深夜(金曜日の早朝)午前2時〜4時までの祈りの塔において沖縄への祈りをいたしました。その場にいた顔ぶれは、日本全国から集められた人たちでしたが、昨年の祈りの祭典の祈りの塔の夜間の祈りとほぼ同じ顔ぶれでした。私たちはそれを夜間の祈りの同窓会メンバーと呼びました。

沖縄に慰めと癒しが与えられ「日の昇る国」というアイデンティティーが与えられるようにとりなして祈りました。それはまたエリヤがした「生みの苦しみ」の祈りでもありました。

それは北海道から沖縄へ続く大路イザヤ62章10節)を作るためです。エルサレムに向かう道が整えられるためには日の昇る国という一つのアイデンティティーが必要なのです。

そして、さらにその先の未来に対する祈り、すなわち、次回の祈りの祭典が沖縄でなされることを宣言しました。そして、もし連鎖の祈りの塔を大会と並行して持つことが負担に感じるなら 「北海道から行くとりなし手達が夜中のシフトを担当するから心配しないでいいよ。と言おう。」などというようなことを言って盛り上がっていました。


金曜日の午後12時〜14時の祈りの塔においても沖縄のための祈りと和解のミニストリーがありました。また、そこでもたれた東アジアの和解と一致、アイヌとの和解と一致はこれから先のさらなるテーマとなるでしょう。


私は沖縄への祈りを私が導くことになっていましたが私は壇上に上ったものの胸が一杯で、かろうじて沖縄から来られた方々を壇上に上げ、会場内にいるとりなし手達、教職者達を前に招き、壇上に上げ沖縄の為に祈るように導いただけでした。

涙と、叫びと、抱擁があり、その場に主が臨まれて神の愛があふれ、互いに涙を流しあいながら祈りあう時となりました。そういった中で聖霊により「沖縄は日本から見捨てられた!」と、という沖縄出身の方の霊のうめきの叫び声が起爆剤となり、さらなる祈りととりなしの霊が注がれました。

私はただ泣くことしかできなかったので、西森牧師が日本を代表して沖縄の方々のために赦しを求める祈りを導きました。それは言葉に表せれない麗しいときでした。北海道から沖縄に大きな虹の橋がかけられたのです。


その夜(土曜日の早朝)午前4時〜6時の祈りの塔には沖縄から来た6人の人たちが参加しました。金曜日のメインホールでの沖縄へのミニストリーはとても祝福されたときでしたが、さらに、今この機会に沖縄に将来と方向性を与える宣言をする必要を感じ、祈りました。それは日の昇る国としてのアイデンティティティーを沖縄に宣言することです。沖縄から来られた、方々に「義の太陽の旗」を掛けて祈りました。とても麗しいときでした。

今回の祈りの祭典およびG工イト・サ三ットの為の祈りのテーマの御言葉の一つであるイザヤ書41章には分裂していない一人の人が描かれています。日の昇る国という日本に与えられたアイデンティティーの中で沖縄が欠けているなら日本は完全な姿ではないのです。

沖縄には熱い祈りが今までもありました。またイスラエルへの熱い思いもありました。それらはもしかしたら日本でもっとも熱心な部分であったかもしれませんが、それだけでは十分ではありませんでした。日の昇る国というアイデンティティーの中でなされることによって神が備えている全体像が生きてくるのです。

シンディージェイコブズ師の日本に対する有名な預言の中に。「日本列島は竜の形に見えるが地図を逆さにするなら剣のように見える」というものがあります。すなわち北海道が主が握られる場所であり沖縄が剣の先です。この祈りの祭典を通じて日本は剣の先を手に入れたのです。

その時に、一人の姉妹がビジョンを見ました。それは 地に落ちていた、剣を主ご自身が拾い手にとられ、振りかざすのです。それは単に日本だけに振りかざしたのではありません。国々に対して振りかざしたのです。主はひとつとされた日本を、日本だけにとどまらず国々に対してミニストリーをする為に大きく用いるのです。

さらに、驚くことに、別の姉妹も 主が剣を拾われそれを振りかざすビジョンをまったく同じ時に見たのです。その事を聞いたときに、それは主がなされている方向性と御業の確認だと感じました。主の熱心がそれを成し遂げてくださるのです。


今回の44時間の連鎖の祈りの塔の成功についていうなら、それは熱心なとりなし手達の参加によって達成されました。彼らこそ今回の祈りの祭典のヒーロー(ヒロイン)なのです。


翌日、トム・ヘス師は日曜日の礼拝メッセージでこう語りました。「東西を分け隔てていた壁が崩れ落ちた。」「今回の祈りの祭典in北海道の中でこの沖縄での祈りはもっとも重要な出来事であった。」

日曜日のトムヘス師のメッセージはこちらから(携帯電話からは非対応)


預言的行動やとりなしの祈りというものをどこででもすることができますが、神が与えるタイミングやどの場所でするということも重要な要素です。昨年、この北東の端にある北海道において日本の国旗にかけられた呪いが打ち砕かれました。その同じ場所で北海道と沖縄を結ぶ橋が掛けられたのです。それは北の国に注がれた神の祝福が沖縄と一つになることによって日本全国に流れていくためです。


今から2年前に北海道から30人が大阪に訪れて、聖霊の炎を受け取ったように、今回、祈りの祭典in北海道に参加した沖縄からの方々がこの祈りのムーブメントを持ち帰ることを確信しています。

それゆえ祈りの祭典が沖縄でも開催されることを期待します。それが実現するなら、北海道の私たちは大挙して沖縄を訪れるべきです。私たちは互いに支えあい祈り合う関係だからです。

ですから「リバイバルが北海道と沖縄から来る」という預言について語るときに、どうか「北海道が最初だ」あるいは「いや、沖縄だ」などとは言わないでください。私たちが一つとなることによってリバイバがなされ、日本全体の祝福となるのです。

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