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太平洋戦争の本当の原因

このホームぺージを見ている人であるなら戦争の原因について「日本が狂ったから」とか「日本が領土拡大の野心を持っていた」と考える人はもはやいないと思います。

「アメリカが物資の輸出を禁止したりして日本を追い詰めたから」という答えは及第点を取れる答えですし、日本の軍部、政治の上層部に工作員がいて戦争に駆り立てたということを知っている人はかなり上級者です。

しかし、実際には、それ以上にはるかに大きな工作活動がアメリカでなされておりました。

近年、過去の機密文書が公開されるなどして、さまざまな出来事の真相が明らかにされています。その中でも最も大きなもののひとつは「ヴェノナ計画」(Venona project)によってソ連のスパイ活動が暴かれた事です。

第二次世界大戦時の同盟国ソ連が百人単位の規模でアメリカにスパイを送り込み、外交、軍事、産業上の機密情報をことごとく盗み出していたことが分かったからです。
当時のルーズベルト政権は、完全にソ連の工作の影響を受けており、アメリカの軍事機密がソ連に筒抜けだった事実は世界の歴史家に衝撃を与えました。

 

コミンテルンは東アジアの共産化に邪魔だった日本を潰すためにアメリカと日本を分裂させ敵対させる為にさまざまな工作活動がなされました。ルーズベルトの側近をはじめとしてその周囲に300人以上の工作員がいたのです。
アメリカではマスコミを巻き込んで、アメリカが中国に親しみを覚え日本を憎ませるキャンペーンが数多くなされました。

当時日本は東アジアで共産主義の脅威と戦っていたのですから、日本がいなくなると、一気に共産主義化が進むことは当然のことであり、本来アメリカは日本と共同すべきだったのに逆に敵対させられてしまったのです。

その後の歴史はご存知のとおり日本の敗戦後、ソ連は労せずに満州に攻め入り、中華人民共和国が生まれ、朝鮮の北半分を共産主義化したのです。

今日、コミンテルンは解散し、中国もロシアも共産主義から脱却したといわれていますが、その背後で操っていた勢力はいまだに健在です。

真実に目が開かれ、正しい歴史観を持つことができないなら、今の時代においても間違った政治判断がなされてしまうことでしょう。


 

元アメリカ大統領フーバーの証言

コミンテルンの謀略と「本当の戦争責任はルーズベルト大統領にある」という証言の中でもっとも説得力があるのはフーバ氏の著書である「フリーダム・ビトレイド」です。

彼はルーズベルトの直前の大統領であったので、彼以外では知りえない国家機密もたくさん見聞きしておりました。

彼の著書のこの発言が多くを物語っています。

1946年(昭和21年)5月3日、東京にて、 元アメリカ大統領ハーバート・フーヴァーと連合国軍最高司令官マッカーサーは「太平洋戦争とはいったい何だったのか」を3日間にも渡って話し合いました。
そのとき、日本人なら誰も思いもしないようなことをフーヴァーは口にしたのです。
太平洋戦争は、日本が始めた戦争じゃない。あのアメリカの『狂人・ルーズベルト』が、日米戦争を起こさせた。気が狂っていると言っても精神異常なんかじゃない、ほんとうに戦争をやりたくてしょうがなかった…その欲望の結果が日米戦争になったんだ」


その言葉を聞いて、マッカーサーははっきりと同意した…

この事実だけでも、十分ではないでしょうか。


 

フリーダム・ビトレイドの書評

この本(アメリカを戦争に引き込んだフランクリン・ルーズベルト大統領を糾弾したフーバー大統領の回顧録)が日本で話題になっているようだ。日本語の翻訳本がいつ出るかは未定だという話だが、この本を紹介する本が既に出ている。

この本はフーバー大統領が亡くなる1年前の1963年には、いくつかのファクト・チェックを除いて出版できる状態になっていた。しかし、出版されたのは半世紀後の2011年になってからだった。実は、フーバー大統領は日米戦争の火蓋が切られた真珠湾攻撃の日、1941年12月8日(アメリカでは7日)にこの本を書き始めている。しかも、亡くなる直前まで、何度も何度も書き直している。

フーバー大統領は日米開戦までは、あらゆる機会に、1940年の大統領予備選に出馬したときにも、アメリカはヨーロッパの戦争(ナチスドイツの戦争)に手を出すべきではないと主張し、ルーズベルトが大統領選挙のときに公約したモンロー主義/不参戦を守らせようと努力していた。その努力が無駄だったことを知った日米開戦のその日に、フーバー大統領はルーズベルト大統領の裏切りを糾弾する本を書くことを決断し、日米戦争に至るまでの経緯がわかるすべての記録や記憶を保存するように元国務省の副長官だった友人に頼んだのである。

1000ページ近いこの本の後ろには、初期に書かれた文が収録されていて、主要な論点が手短にまとめられている。しかし、フーバー大統領が「大著」と呼んだこの回顧録はただの回顧録ではない。フーバー大統領は秘書やリサーチ・アシスタントを何人も雇って、入手可能なあらゆる資料から、ルーズベルト政権内部の人間やイギリスのチャーチル首相、ソ連のスターリンらの言動を調べ上げ、彼らの言葉を引用することによって、歴史の真実を浮かび上がらせるという、きわめて客観的、学術的なアプローチでこの本を書く努力を惜しまなかった(関連資料はフーバー・インスティチューションに保管されている)。フーバー大統領はルーズベルト政権の「失政」を明らかにすることの重要さにそれだけ強い信念と情熱を持っていたということだ。しかし、フーバー大統領の死後にこの本の出版権を託された息子たちは、歴史修正主義と呼ばれるであろうこの本を出版しなかった。中で批判されている人々が生きている間は出版がはばかられたということもあったようだ。その辺のいきさつは、編集者としてこの本をまとめ、出版した George H. Nash が長い前書きで詳しく説明している。

とりあえず、日本に関連した章を読んでみた。日米開戦前夜のルーズベルト政権の動向を読むと、11月25日にチャイナから、日本と外交交渉で決着をつけようとするなんてもってのほかという苦情があったのに対して、アメリカは、アメリカ側の被害が大きくならない方法で日本に最初に手を出させるにはどうするかが問題だとか、日本が絶対に受け入れないことが確かな条件を解答したから心配するなといったことをチャイナに教えていたことがわかる。チャイナ/共産党がアメリカにもイギリスにも、日本を武力で潰してくれなければ、米英の扱いを考えなおすというような圧力をかけていたということも、はっきりわかる。つまり、日米戦争はチャイナ/共産党が米英を手なずけて仕掛けたという結論になる。英国のチャーチルにせっつかれて、英国を支援するために日本を使って裏口からヨーロッパ戦線に参戦したようにも見えるが、1941年の6月にドイツ軍はソ連に攻め込んでいたので、つまり、在米資産凍結令が出て、石油の対日全面禁輸が決定され、日本に対する経済封鎖が最終段階に入ったころには、イギリスに対するドイツの脅威は山場を過ぎていたのだ。だから、フーバー大統領はその時点でソ連に協力を要請し、ソ連を支援してドイツを潰せば、共産主義の勝利を保証する事になると警告したのだ。ドイツとソ連を戦わせて、2つの全体主義国家を同時に弱体化させてから、対処するのが効果的だというのがフーバー大統領の主張だった。

ちなみに、フーバー大統領がルーズベルト大統領のことを「madman」(狂人)と呼んだのは、1946年に東京でダグラス・マッカーサーに会ったときだった。マッカーサーはそれだけでなく、経済封鎖が挑発であったという見方にも共感を示したと書かれている。