国家の罪を代表してクリスチャンが謝罪することの問題点

現在クリスチャンの国際大会で頻繁に行われている果てしない謝罪を見るときに多くの人が違和感を感じております。

いつごろからこのような流れが始まっていたのかわかりませんが、私がクリスチャンになった頃には既にアジアの国々に出かけた際に謝罪することは日常的に行われていたようです。
ある人は「日本が韓国でミニストリーするにははまず、謝罪の言葉を述べなければ何事もはじめられない。」と言っていました。
これまで、どれだけ多くの謝罪がなされていたのでしょうか。

それがたとえ、現地の人たちの感情を和らげるためのものであったとしても、へりくだ  り、和を求めている日本人クリスチャンにとっては、キリストの愛が流れるためであるなら多くの場合、喜んでそれをしたことでしょう。

しかし、それがもしその対象となった出来事が事実に反しており、正しい歴史観に基づいていないのであるなら、また、「謝罪」というものが聖書的な根拠が乏しい行動であるなら私たちは考え直さなければならない時に来ているのではないでしょうか。


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目次

 (1) 今日頻繁になされている「謝罪」の聖書的根拠

聖書の中には「神に悔い改める事」についてはたくさん書かれていますが、「過去の出来事についてその子孫であるクリスチャンが代理で国家の罪を相手国の被害者の子孫に謝罪すること」の聖書的根拠や理由はどれほどのことなのであろうか。  (さらに読む


(2)繰り返される謝罪の原理さらに詳しく読む

A) 謝罪は日本人的な行動

a ) 謝罪は日本の文化
b ) とにかく言われるままに謝罪する
c ) それに追従する他の人たち
d ) たとえ濡れ衣でも言い訳をしない日本人のいさぎよさ

B) 謝罪したがる日本人

C) 相手の謝罪をシンプルに受け取ることができない日本人

D) 変にかみ合い相乗効果をもたらした中韓と日本人の気質

E) 謝罪の効果が見られない理由としてよく言われている説明

a )悔い改めが足りない
b ) 歴史を良く知らないで謝罪する
c ) 心から同意していない人が謝罪する人たちの中に含まれているから
d ) いきあたりばったりの謝罪


(3)  どうして何度も謝罪をするのか さらに読む

理由(1)アジアの人たちの気が済まないので。

理由(2)自分の世代で「このような謝罪」は終わらせたいので 

理由(3)悔い改めが足りないと感じているので。

理由(4)度重なる謝罪が感覚を麻痺させた。


(4)日本人が赦されていると感じていないという事実。 さらに読む


(5) あきれる外国人  さらに読む

それぞれ人によって反応は異なるでしょうが「とにかく謝罪すれば最大公約数的に良い集会になる」などと思っていてはいけません。あきれ返っている人も少なくないのです。

イスラエル元駐日大使のエリ・コーヘン氏はこの現象に苦言を表明し、日本が真実を世界に発信するよう要請しています


(6) 繰り返す謝罪は先人の行動を無視するものさらに読む
A)既に済まされたことに対して謝罪をすることは、先の謝罪者に対して失礼である。

B)既に済まされたことに対して謝罪をすることは、先の謝罪受け取り手に対して失礼である。


(7) どうして謝罪の必要がこれほどまで説かれるのか?さらに読む
A)日本がリバイバルしないので。


(8) 知識の欠如さらに読む
A)歴史を整理する。

B)中国、韓国がどのような国かを知らない。

C)出来事に対する真偽の検証をしていない。

普通、何かの訴えを受けたなら、その真偽を確かめる作業をいたします。しかしその内容について(おそらく)一度も検証していないように思えます。今日、数多くの人たちによって疑問視されている事柄であっても。

(9) うらみは「過去の出来事」ではなく「教育」によって作られる。さらに読む


(10) 次世代の参加を阻害する。さらに読む
(11) 家族、コミュニティーを分断させてしまう。さらに読む
ハワイ(日系人が多く住む場所)に、組織的に日本からやってきた牧師たちが戦争責任を謝罪したのですが、そのことをきっかけとして、その地域にある日系人教会に分裂を生じさせてしまいました。


(12) 日本人に罪責感を植えつけるさらに読む


(13) 間違った歴史観は日本が立ち上がることを阻害する。さらに読む

実は「日本が立ち上がれなくなる」という問題は全ての問題の中で一番大きいかもしれません。


(14)間違った歴史観は神の戦略を妨げるさらに読む

私は過去の歴史の中に、将来に起こるべき霊的な意味の雛形があると考えています。

(15) 本当の敵から目がそらされる

人の罪ではなく、サタンを責める集会をほとんど見たことがありません。(さらに読む

(16)間違った歴史観を植えつけることになる。

日本人はまじめなので、たとえそれが嘘であれ誇張であれ受け入れますが、そんによって間違った歴史に同意することになってしまいます。 (さらに読む

 



 

本文

(1) 謝罪することは聖書的なのか?

「クリスチャンが国家の罪を代表して代理に当事国のクリスチャンに謝罪すること」の聖書的根拠や理由はどれほどのことなのであろうか。
聖書の中には「神に悔い改める事」についてはたくさん書かれていますが「過去の出来事についてその子孫がその子孫に謝罪すること」については、根拠がないようい感じます。

謝罪の根拠としてよく引用される多くの聖書の箇所は「謝罪」についてではなく「神への悔い改め」についてです。以下にそれらを書き出します。

第2歴代誌7:14 「わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり・・・」

ダニエル書9:3〜9 「そこで私は、顔を神である主に向けて祈り、断食をし、・・・」

ネヘミヤ書1:6 「・・・まことに、私も私の父の家も罪を犯しました。」

エズラ9:5〜15 「私は恥を受け、私の神であるあなたに向かって顔を上げるのも恥ずかしく・・・」

しかし、これらの言葉は、全て、神に対する悔い改めであって、先祖の罪を代表して被害者の子孫に謝罪したわけではありません。もちろん、謝罪も悔い改めのひとつの表し方ですから、拡大解釈として成り立ちはしますが、それそのものではないことは知っておく必要があります。


第2サムエル21:1-9) ダビデの時代に、三年間引き続いてききんがあった・・・

この言葉は、たとえ自分がしたことではなくても、具体的に被害をこうむった子孫に対する働きかけを伴った行動について書かれた数少ない御言葉のひとつです。ですから、それは今日行われている謝罪に近いものがあるように見えますが、それでも同じものではありません。

まず、第一に、ダビデは自分に与えられた権威を用いて償いをしました(21:3)が、サウルの罪と自分を同一化したわけではありません。
ダビデは境界線をしっかりと引き、善意の第三者という立場をとっております。

第二に、ここで、問題になっているのは単なる虐殺の罪についてではありません。ヨシュアが神の前で結んだ契約が破られたことについてです。
虐殺というものはいつの時代で子ででも起こっています。でも、この場合の焦点が神との契約の問題であるなら、その他の虐殺に大して文字通り適応するのは正しくありません。


マタイ5:22〜26)に書かれた「恨まれているのを思い出したら仲直りしなさい。」

この御言葉は具体的に、人に対する働きかけについて書かれた御言葉です。「祭壇に行く前に」という状況から察すると、(1ペテロ3章7節)のように、神との関係が妨げられないようにという意味で「人間の感情というものにも気をつかいなさい」という意味だと理解できます。

実際にwikipediaによれば尾山令仁師がアジアで謝罪運動を行っていたのはこの御言葉が根拠です。

<wikipedia>1956年、デボーションの時マタイによる福音書5章から、尾山師は、アジアの人々への謝罪が必要であることが示された。そしてフィリピンに行って半年の間、謝罪運動を行った。

しかし、たった一っ箇所の聖書の言葉を根拠として、同じことに関する謝罪を、しかも国家を代表して、さらに何度も行うというのは無理があります。

また、ここで言われているのは「謝罪しなさい」ではなく「仲直り」について書いています。それは、言われるままに謝罪するのではなく、訴えが本当かどうか調べて考える必要があります。また、誤解されていることがあるならそれを説明し、その誤解を解く作業が必要だということです。しかしそのような検証がこれまでされてきたことがあるでしょうか?

この件については「出来事に対する真偽の検証がなされていない。」でさらに見ていきたいと思います。


(2)  繰り返される謝罪の原理

A)日本人的な行動。

a)謝罪は日本の文化

海外に行くと日本と外国の人の態度の違いに驚きます。世界200カ国以上ある中で、「外国の人」という言葉でひとくくりにするのは無理があるでしょうが、それでも、多くの人が体験的に感じていることは「外国人は謝らない」ということです。
別の言い方をするなら、日本人は謝りすぎなのです。日本人は「人に迷惑をかけない」事に対して異常に気を遣います。それを悪いことだとは言いませんが弊害があるのも事実です。そして、それは日本人のひとつの気質であり、文化的な側面であることを知るべきです。

b)とにかく言われるがままに謝罪する。

日本人の気質は「謝って済むなら謝る」というものですのです。ですから、とにかく謝罪を求められたら謝罪する傾向があります。
日本がいったい何をして、何をしていないのかろくに調べず、相手の感情をなだめるだけの謝罪をしているなら日本は信用を失うことでしょう。

c)それに追従する他の人々

日本人は、他の人と違った行動をすることを嫌います。また、目上の人を尊敬する文化ですし、ましてやクリスチャンであるなら「へりくだり」と「霊的リーダーに従う」という側面も加わります。
ですから、自分のリーダーが「謝罪する」といえばそれに同意するのは普通の行動です。

「出る杭は打たれる」ということわざが日本にあることからわかるように、ましてや謝罪というデリケートな問題に対して、自分の考えを主張できる人は少ないでしょう。

d ) たとえ濡れ衣でも言い訳をしない日本人のいさぎよさ

日本人の強さの秘訣は、いさぎよさです。東日本大震災で、文句を言わずもくもくと耐えしのぶ日本人の姿が世界中のテレビに映し出され感動を与えました。
しかし、いくらいさぎが良くても「たとえ、濡れ衣であっても言い訳しない」というのは世界の常識から見れば異様な考え方です。

e ) 日本人は正しいことのためなら自国民をも喜んで批判する

日本人は、自己批判をすることによって研磨を積み、発展してきました。私は小学生の頃からよく本を読んでいましたが、そこで何度も「これだから日本はだめだ」というような論調を目にしていました。「日本のアニメーションはレベルが低い」とか「ビジネスの現場で日本人はTime is monneyの意味がわかっていない」など、他に比べて優れた分野であっても不十分であるとして公に批判しているのを読んだときに私は少し混乱しました。
日本人の気質のひとつは「自己吟味」「自己批判」です。中韓がたとえ嘘であっても「自国民を一致させるために」他を批判するのに対して、日本人は、たとえ嘘かもしれなくても「自国民が変えられるためには」自分を批判するのです。
そのような気質が、日本人を謝罪に駆り立てているのでしょう。

f ) 日本人は常に自分が不十分であると感じている

外国のかたがたと比べてみると日本人はその民度の高さと優れた文化を持っているにも関わらず驚くほど自己像が低いことがわかります。

B)自発的に謝罪する日本人。
日本人の気質からして謝罪して済むことなら何度でも謝罪します。しかも心をこめて謝罪することでしょう。

そのようなわけで、国際規模の大会においては頼まれてもいないのに日本人から自発的に謝罪することもよく見られます。
2009年に名古屋で開催された祈りの国際大会では司会をしていた牧師は、彼の役割は次にメッセージをする中国の先生を紹介するだけの場面で、戦争のことを持ち出して、全会衆とともに謝罪をしました。
さらに私を驚かせたのは、その謝罪の内容は2006年に大阪で開催された同じ系列の大会の中でその牧師がした同じ内容の謝罪だったからです。

この出来事は見過ごすことができません、なぜなら相手が恨んでいないのに謝罪するとしたら、最後の根拠であるマタイ5章の御言葉すら適応できないのですから。

C)相手の謝罪をシンプルに受け取ることができない日本人

日本人は本当にへりくだっていると思います。ですから、誰かから謝罪されても、それをただ受け取ることは難しいかもしれません。ある祈りの大会で、中国か韓国の方が「日本を恨んでいた罪」を告白し謝罪しました。
そのとき日本人は、いや、私たちこそ申し訳ないとばかりに彼らがしたよりもさらに多くの謝罪をしたのです。

D)変にかみ合い相乗効果をもたらした中韓と日本人の気質

中国や韓国は国を挙げて反日教育をしています。ここではその詳細について書くことはしませんが、事実は事実としてそのことをしっかりと認識しておく必要があります。
2012年の反日暴動の際に、暴徒が日本の企業やデパートを襲い尋常ではないほどの破壊をしましたが彼らは基本的にお咎めなしで、逆に英雄扱いされました。

中韓の気質は、事実はどうであれ、ろくに調べもせずにまず日本を責めるというものです。
それとはまったく逆に、日本の気質は事実はどうであれ、ろくに調べもしないでまず謝るというものです。その二つの国の気質が変にかみ合い、普通以上に不思議な関係が出来上がってしまいました。

E) 謝罪の効果が見られない理由としてよく言われている説明

a ) 悔い改めが足りない

「悔い改めが足りない」といわれるひとつの大きな理由は「日本がリバイバルしないので」の中に書いたように「日本が霊的に変化しているように見えない」という苛立ちは大きいでしょう。

2014年に沖縄で開催された「Home Comming」では「今回は謝罪の集会ではなく、赦されたものとしてともに歩んでいくための集会」だと聞かされていたのに、またしてもそのような場面がありました。しかも、その翌日にも「昨日の謝罪は十分なものではなかったのでもう一度したほうが良いのではないか」という声が出ていました。

b ) 歴史をよく知らないで謝罪している。

歴史を知らないという言葉には2つの正反対の意味があると思います。
「日本人は自分たちが過去にどのような悪いことをしたか知らない。」という意味で「歴史を知らない」という言い方が良くされていますが、それを訴える人たちも実際には「検証」していませんし「日本がどれだけよいことをしたのか」を知らないのも事実です。

明らかな嘘が信じられている良い例である「従軍慰安婦問題」という記事にあるように、今日、ちょっと調べれば誰の目にも明らかな問題であっても、調べようとはしないのです。

多くの日本人クリスチャンは「太平洋戦争を振り返ってアジアの国家元首などが語った言葉」という記事にあるような「日本がどれだけアジアに貢献したか」という視点も知識も持っていません。
良いことをしたら悪いことが帳消しになるとは言いませんが、その状態がアンバランスであることは否めません。

c ) 心から同意していない人が謝罪する人たちの中に含まれているから。

これは、どうしても避けることができないことです。人によっては30回以上謝罪している人もいますので、たとえ誠実な人でも嫌気がさしてくるかもしれません。
また、正しい歴史を知っている人や、この行動が聖書に基づいているというより非常に日本人的であることに気がついている人はどうしても一歩退いてしまうことでしょう。

そのような人が紛れ込むのを避けるには、その時間には席をはずしていただくか、あらかじめ集会の意図を理解していただき、心から謝罪できない人には集会に来ないでいただくかしかありません。しかし、そのような集会は本来の意図からはずれてしまったものになってしまうことでしょう。

そのようなわけで、今までもそうでしたが、今後も、そこにいる人たち全員が心を合わせて、心を砕かれて、心の底から謝罪する集会というのは実施不可能だと思います。

d ) いきあたりばったりの謝罪

これは、「歴史を知らない、検証がされていない、心から謝罪していない」など数多くの問題を包括している説明だと思います。


(3) どうして何度も謝罪をするのか

理由(1) 自分の世代で「このような謝罪」は終わらせたいので

日本が過去において悪いことをして、そしてその呪いが今日の日本の上にかかってるなら、そして謝罪によってその呪いが打ち砕かれるのであるなら、どんなクリスチャンでも喜んで謝罪することでしょう。

そして、こう考えます。「今、私たちが徹底的に謝罪するならば、自分の後の世代の人たちは、そのようなことをする必要はなくなるだろう。」
しかし、これまでの流れを見るにあたってそのような期待は裏切られるように感じます。子の世代だけではなく、孫の世代まで果てしない謝罪へと巻き込まれているようです。

理由(2) 悔い改めが足りないと感じているので。

これについては「日本人的な行動」の中で説明したので重複は避けますが、日本人は自分が十分ではないといつも考えています。

理由(3) アジアの人たちの気が済まないので。

国際大会だからと言って、日本に来られるアジアの方々は、(すでに謝罪がされているわけなので)ほとんどの人はもう気にしていないと思います。それでも、先に書いたように、人を責めるのが中韓の気質なので、謝罪してほしいと考えている人は少なからずいることでしょう。

もし、謝罪の動機が「日本によって気分を害している人がいるから」であるなら、その謝罪は永遠に終わることはないでしょう。大きな国際大会になると、初参加なので日本人から謝罪を受けたことがないという人が必ずいるからです。

そして、謝罪を受けた人の中には、何かについて謝罪されたときに勢いに乗ってその他の出来事に対しても謝罪してほしいと考える場合があるからです。

参考:(2006年エルサレムでの謝罪を要求されたエピソード

しかし、後述するように、謝罪ばかりをしているときに、失うものもあることを知るべきです。
次世代)(日本人の誇り)(リバイバルの戦略

理由(4)理由(4)度重なる謝罪が感覚を麻痺させた。

先に書いたように、この謝罪運動は直接的に聖書にかかれたものではありません。ましてや、訴えに対して調べもしないで謝るというのは世界の常識ではありません。
日本を代表する説教者がアジアに出て行き、そのたびに現地の人たちを慰めようとして謝罪を繰り返しているうちに正常なバランス感覚が麻痺してしまったのだと思います。


(4) 日本人が赦されていると感じていないという事実。

国際大会で謝罪のミニストリーがなされた後にいつもあるのは大きな解放感です。しかし、それも長続きしません。
日本人の心に赦されていないという思いをぬぐい去ることができません。その理由については、「悔い改めが完全ではなかった」とか「アジア諸国が責め続けるから」などさまざまな意見があるでしょうが、

「謝罪することによって日本人が自由とされる、日本にリバイバルが来る」という一本勝負的な考え方についても考え直すときが来ているているように思います。


(5) あきれる外国人

「謝罪」が行われているキリスト教の大会に参加する外国人の感想はどのようなものでしょうか?
それぞれ人によって反応は異なるでしょうが「とにかく謝罪すれば最大公約数的に良い集会になる」などと思っていてはいけません。あきれ返っている人も少なくないのです。

そして、「いつまでこの罪責感に際悩まされている日本人に付き合わねばならないのか」と考えている人もいるのです。
せっかく「日本が立ち上がるところを見たい。」「東アジアに与えられた次の戦略とは何か?」などといったことを期待して参加しているのに、毎回、謝罪謝罪で終わっているならもう参加したくないと考える人もいるのです。

また、
イスラエル元駐日大使のエリ・コーヘン氏は日本の行為をホローストになぞらえる中韓のやり方に苦言を表明しています。ここにあるように、彼ははっきりと「日本はホロコーストに似た行為をいっさい起こしていない。

」と語っています。

そしてさらに、嘘に振り回されて日本がやられっぱなしでいるのではなく真実を世界に発信するよう要請しています


(6) 繰り返す謝罪は先人の行動を無視するもの

A)既に済まされたことに対して謝罪をすることは、先の謝罪者に対して失礼である。

何かの課題に対して神の御心に中で導かれてクリスチャンが国家を代表して謝罪するなら、その謝罪は霊的な意味において公式な謝罪とみなされるべきです。それは大会の種類が変わったりしても同様です。
そうでなければ、「同じ内容の謝罪を過去に行った謝罪が不十分であった」と表明することになります。

B)既に済まされたことに対して謝罪をすることは、先の謝罪受け取り手に対して失礼である。

同様の意味で、もし、同じ内容の謝罪をもう一度するなら、先の大会で謝罪を受け取った人は、その受け取りが不十分であったとするものになってしまいます。


(7) どうして謝罪の必要がこれほどまで説かれるのか?

A)日本がリバイバルしないので。

世界中、どこにでも過去において悪いことをした国は存在しますし、ソ連による大虐殺の数は少なく見積もって1000万人以上です。
そういった中で日本ほど30年以上にわたって謝罪を続けている国は他にはないでしょう。また、それでもなお、悔い改めが十分ではないといわれているのはかなり普通ではない出来事です。
その大きな理由のひとつはいつまでたっても日本のクリスチャン人口が(公称)1%を超えることがないからでしょう。

日本はキリスト教に対して好印象が持たれている国でありながら、人々が信仰を持たないのは「よほど大きな霊的要塞があるに違いない」と考えて悔い改めが強調されているのでしょう。

「日本に大きな霊的要塞」があるというのは認めますが、それを砕く方法が(ほとんど唯一)悔い改めであると考えているように見えますが、それにもかかわらず、これまで多くの変化を見ることができなかったのを見るときに、その考え方を疑ってみる必要はあると思います。


(8) 知識の欠如

A)歴史を整理する。

a ) 中韓とその他のアジア諸国の違い

よく「日本がアジア諸国に謝罪」といわれますが、国をあげて日本を責めているのは中国と韓国(北朝鮮)だけです。その他の国々はそれによって独立できたわけですから日本に好意的な視点も大いに持っています。台湾にいたっては日本の統治を経験していた人たちはかなりの親日です。

B)中国、韓国がどのような国かを知らない。

最近経済的に成長したゆえに中国が公正な先進国だと勘違いする人が大勢いますが、この国は基本的に一党独裁の閉鎖的な社会です。そしてその国の重要な政策と教育の一部が「反日」なのです。つまり、何かを話し合っても同じ土俵で話をすることはできません。

また、韓国では親日的な発言をする人は社会から抹殺されます。たとえ真実であってもそれを口にすることができないのです。そのような中で果たして、まともな論議ができるでしょうか。

C)出来事に対する真偽の検証をしていない。

普通、何かの訴えを受けたなら、その真偽を確かめる作業をいたします。たとえば以下のような事柄は今日、数多くの視点からさまざまな意見が出ているにも関わらず、ただ結果的に「迷惑をかけてしまった」というだけで思考を停止させ、その作業を、大会開催主催側としては(おそらく)一度もしていないように思えます。

a ) 大東亜戦争の原因は日本の拡張野心だけの産物か?
b ) 日本は朝鮮を植民地にしたのか?
c ) 朝鮮併合は朝鮮人の意思を無視したものか?
d ) 日本政府は韓国に謝罪も補償もしていないのか?
e ) 従軍慰安婦は性奴隷か?
f ) 南京大虐殺はどこまで真実か?
g ) 尖閣諸島は日本が中国から奪い取ったものか?

ここでは、その真偽についての論議は多くはしませんが、今日のように、いくらでも情報を手にいえることができる時代にあってそれを調べないというのは大きな片手落ちです。

特に「明らかな嘘が信じられている良い例『従軍慰安婦問題』」という記事にあるように、今日、世間が偽りであった事を知ってしまった出来事についてまで、謝罪したのでは、ダーウインの進化論のように非科学的であるといわざるを得ません。

訴えに対して検証するのは世界の常識であるにもかかわらず、何も検証せずに謝罪しているということが諸外国の方々に知られたら、それは恥ずかしいことですし、彼らも信じることができないでしょう。また、裏切られたと感じることでしょう。


(9) うらみは「過去の出来事」ではなく「教育」によって作られる。

中韓が日本を恨んでいるのは「過去において日本が悪いことをしたからだ」と思っている人が多いと思います。しかし、その理解は正確ではありません。
現実的に言うなら、他の国が他の国をどう思うのかは、事実によってではなく、教育によって作られるからです。

私は、日本人でソ連を心底恨んでいる人を見たことがありません。それは終戦後のどさくさにまぎれてソ連が満州に侵攻し多くの日本人を殺し女性を強姦したのを知らないからでしょう。
その数はロシアのジャーナリスト、アルハンゲリスキー氏の著書によれば、戦後、ソ連によって連れ去られた日本人抑留は約100万人です。この内40万人が虐殺されたり拘留先で死にました。強姦の数はわかりませんが、ベルリンで人口の10%以上が被害を受けたことを考えると、その程度であると思われます。

また、広島市出身の人が、広島ではほとんどの人がアメリカを恨んではいないといっていました。それが事実かどうかはわかりませんが「原爆を落とされたのは日本が悪かったからだ」と言う教えが広く知られているので、それは十分ありえることです。

ですから、終戦から70年近くだって、いまだに日本を恨んでいる人がいるなら、それは教育が生み出したものであるという視点もあることは知っておくべきです。


(10) 次世代の参加を阻害する。

これまで、書いてきたような理由によって、多くの若い牧師、リーダーが「謝罪」に対して嫌悪感を抱くようになり始めています。事実、集会に不参加を決めた人たちも多いのです。

「若者は歴史を知らない。」という言葉をよく聴きますが、そう言う年長者であっても、本当の意味で歴史を検証せずに、言われるままに受け入れているだけであるなら、その人は歴史を知っているとはいえません。


(11) 家族、コミュニティーを分断させてしまう。

そのようなわけで、いくら「日本のクリスチャンがひとつの家族となること」を目指しても、そこに「謝罪」をいつまでも持ち込むなら、キリストの体に大きな分裂を生じさせてしまいます。
このことは、想像以上に大きな破壊力を持っていると思います。

ハワイ(日系人が多く住む場所)に、組織的に日本からやってきた牧師たちが戦争責任を謝罪したのですが、そのことをきっかけとして、その地域にある日系人教会に分裂を生じさせてしまいました。
謝罪をしたグループの人たちは、ただ、その地に来て帰るだけですが、現地の事情を知らず、歴史をさまざまな角度から調べることもなく、ただ、そこで「謝罪」するときに問題を生じさせるのです。


(12)日本人に罪責感を植えつけ自尊心を奪う

今日多くの日本人が自分の国を愛することにとまどいを感じています。それは、事実も事実ではないことも含めて長年にわたって責めを受けているからです。正しくありたいと願っているクリスチャンであるなら、なおさらのこと罪責感を背負ってしまいます。

東京裁判(極東国際軍事裁判)で日本の指導者が罪に定められましたが、この裁判は国際法に基づいた公正なものではありません。11人の判事の中で国際法に通じていたのは唯一インド人のパル・ビノード判事だけであり、彼の判決文では全員無罪となっております。

その彼が「日本人がゆがめられた罪悪感を背負い卑屈、退廃に流されていくのを平然と見過ごすことはできない。」予告していました。


(13)間違った歴史観は日本が立ち上がることを阻害する。

実は「日本が立ち上がれなくなる」という問題は全ての問題の中で一番大きいかもしれません。

21世紀に入ってから、日本において数多くの「日本よ立ち上がれ」的な集会が開催されてきました。アジアからも多くのクリスチャンが日本を祝福するために駆けつけるのですが、それらの大会では「謝罪」のときがもたれるのが普通です。
多くの日本人が、この「謝罪」の時を乗り越えることによって、次の大会では「謝罪」なしで、純粋にアジアが一致し、日本が立ち上がるための大会が開催できるであろうと期待するのですが、その願いはかなえられることはありませんでした。

「謝罪」以外に東アジアが一致し、日本が立ち上がるための、戦略や導きを示すことはほとんどありません。まるで、「ただ、日本が謝罪すれば、東アジアが一致でき、日本がリバイバルされるであろう」と考えているかのようです。

もちろん、中韓などのクリスチャンが「日本を憎んでいた罪を告白し謝罪する」という場面もありますが、日本がした良いことについて積極的に語られることはありませんし、ましてや、「責めの理由の中に誇張や捏造」があったなどということが話題に上ることはありません。

幻想に基づいてではなく、そろそろ真実に基づいてミニストリーをしていくときが来ていると思います。


(14)間違った歴史観は神の戦略を妨げる

私は過去の歴史の中に、将来に起こるべき霊的な意味の雛形があると考えています。そうであるなら、太平洋戦争を振り返って「日本が世界中に迷惑をかけた」という歴史観と「日本がアジア諸国を植民地支配から解放するために立ち上がった。」という歴史観を持つことでは、まったく逆の結果をもたらすことでしょう。

日本がアジアにどのようなよい影響を与えたのかを知るには「日本の行為に対するアジア諸国国家元首の反応」という記事を読まれると良いでしょう。

私は、世の終わりにおいて、日本が霊的に世界のリーダーシップをとり、リバイバイルを前進させ、サタンの策略を暴く働きに用いられると信じています。

しかし、間違った歴史観はそれを妨げることでしょう。


(15)本当の敵から目がそらされる

教会で分裂が起こることはよく見られることで、それは多くの場合、互いに傷を受ける出来事であり、また、相手を責めることもあるでしょう。けれども、そのような時に分裂をもたらしたサタンを責めている人をほとんど見たことがありません。彼こそ、本当の問題の源であるにも関わらず。

歴史上のあらゆる戦争、分裂、争いの背後にサタンがいることを大いに理解するべきです。


(16)間違った歴史観を植えつけることになる。

謝罪をするときに生じる大きなひとつの副産物は、歴史観を固定してしまうということです。
中韓政府は日本を攻撃するのに躍起になっていますが、マレーシアやインドネシアなどの(元)国家元首が大東亜戦争を好意的に評価しているのを見ればわかるように、同じアジア諸国でもその立場は同じではありません。

しかし、東アジアをひとくくりにして、ただ謝罪するなら、日本に好意を持っている親日国に対しても、嫌悪感を抱かせ、日本がした良いことは覚えられず悪と定められてしまうのです。

その例の一つは「謝罪によって間違った歴史を記録してしまう危険性(日本人とユダヤ人のホロコースト)」という記事にあるような出来事でしょう。

その記事では、戦争当時、もっともユダヤ人を助けた国である日本(官、民一体となり国を挙げて助けた)がナチスと同盟を結んでいたという理由だけでホロコーストの共犯者とされてしまう危険について語っています。