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日本はインドネシアをはじめアジア諸国を独立させた。

終戦後に命がけでインドネシアの独立のために戦った日本人

台湾は日本が中国(当時清国)との戦争の結果国際社会の承認の元で1895年に日本に割譲(cession)されました。当時の台湾の大半は未開の地で盗賊まがいの集団がその地域ごとに力を握っており中国としてもその統治に手を焼いていた場所でした。
 日本はその地を植民地にしたのではなく、日本の一部として治め、住民も日本人と見なされました。 事実、日本が治めた40年の間に産業は発達し、世界でまれに見るほどの治安が保たれ、アヘン麻薬が廃絶され、質の高い教育が国土の津々浦々にまでなされました。

 


日本の統治の質のよさがさらに顕著に現れたのは、戦後に大陸から国民党((Kuomintang))軍がやってきたことによります。日本の教育を受け、社会秩序を学んだ台湾人にとっては大陸から来た中国人は野蛮で横柄な支配者だったのです。1947年に2万八千人が殺された二・二八事件(February 28 Incident)はその典型的な例です。

朝鮮は「朝鮮併合前の朝鮮」という記事にあるように国家としての機能を果たしておらず、このままではロシアに侵略されるのが目に見えていたので日本は併合しました。台湾と同様に彼らも日本人とみなされましたが、その特権は台湾人以上で、日本に来れば選挙に出馬して日本で政治家になる道すら開かれていたほどでした。

 


一般的にインドネシアは親日の国であるといわれています。独立宣言文書の年号が西暦の1949年ではなく日本の年号を採用していることからも伺えます。既に日本が敗戦していたにも関わらずそれをすることは特別なことでした。
1941年にインドネシアからオランダを追い出した後に日本がしたことは、彼らが真の独立を果たすことが出来るように準備したことだからです。今日においてもインドネシアの独立記念パレードで日本の軍歌が歌われるほどです。

 


 

日本の敗戦後、オランダが再びインドネシアを植民地にしようともくろんで戻ってきましたが、日本人によって訓練を受けたインドネシア軍がそれに対抗しました。
また、日本の敗戦後、日本への帰国を待っていた日本兵のうち1000人以上が命を落としました。もちろんこのように戦闘に参加することは国際法上は「現地逃亡」にあたり国際法にも反した行為です。しかし、その事実は日本の兵士たちが西洋列強支配からアジアを解放するという理想を真剣に夢見ていたことを物語っています。