五役者の学び (06)

6日目 使徒

使徒とは何か? それには「遣わされた者」という意味があります。そしてまた「遣わすもの」でもあります。

イエスは信仰の創始者(ヘブル12:2)という言葉がありますが、神は最初にイエスをこの地上に遣わしました。そして、次に彼が人々を遣わした(ヨハネ20:21)のです。

彼のうちに五役者のすべてが詰まっており、そういう意味で最初の使徒はイエス・キリストです。(ヘブル3:1)

遣わされた者が遣わすというパターンはキリストの体の中で繰り返し行われたことであり、それによって福音が広まったのです。 


使徒の機能

誰かを使徒と呼ぶ場合、その人は大きな教会の牧師、たくさん教会を開拓した人、外に出て行ってダイナミックに活動をする人というイメージがあることでしょう。

たしかにそれは使徒としての大きなしるしです。しかし、そういったものだけに限定してしまうなら終末における神が持っている使徒に対する計画を受け取りきれないことでしょう。

使徒とは」という記事にあるように使徒の機能は「土台をすえる」「解釈し調整を与える」「戦略を与える」「整合を取る」という機能があるのです。

他にもたくさんの役割がありますが、今回終末の使徒が取り扱うべきテーマである「第三の層」でのミニストリーを展開していくにはこれらの機能が重要になります。


今日、神が第三の層に注目するように語っているのであるなら、マーケット・プレイス・ミニストリー(以下MPM)に対してわれわれは遣わされていかねばなりません。

神の真理の回復は、戦いの武器を一つ一つ与えていくようなもの 」という記事にあるように、もちろん古い宣教の概念が不必要になるわけではなく、ますます必要でしょうが、それらに加えて、MPMに人を遣わすことが21世紀における使徒の重要な働きとなるでしょう。


今日、「みんなが平等」「偉い人がいない」というミニストリーが主流です。それは何も悪いことではありません。互いに祈り合い、たがいに訓戒しあうことそれは聖書にかかれたことであり神の御心です。「フラットなリーダーシップ」という用語は教会外のビジネスの現場でも用いられています。

しかし、それが実現可能なのは「使徒的権威の覆い」があって可能なのです。

エリアハウスの祈りのミニストリーを始めたジョン・サンフォード師は力強い使徒であり預言者でした。セルチャーチで有名な大きなミニストリーのトップリーダーは使徒です。

そのような覆いがあるからこそ、「みんなが平等」という運営が可能なのです。

つまり、使徒的覆いというのは、威圧的なピラミッド構造の支配というイメージを持たれる方がいるかもしれませんが、そうではありません。

使徒的に治めることによってのびのびと「羊が命を得る」事ができるのです。


(ノート)

キリスト教世界で「使徒」という言葉がどのように扱われているのかを見るときに、ひとつの大きな誤解があることに気がつきます。

この教えを読まれている方は「今はもう使徒はいない」などという教えを信じていないでしょうが、無意識的に、新約聖書に描かれた使徒よりも劣るものというイメージを持っているかもしれません。 

しかし、そうではないのです。私が気がついたことは「使徒の働きという書簡」の意味は十二使徒のことではなく、むしろその後を受け継ぐ「大勢のその他の使徒たちの働き」だということです。もちろん使徒の働きの最初のほうはペテロなどのイエスと共に歩んだ十二使徒達が中心です。しかし、それは過渡期における出来事で軸足が徐々に動いていきます。

おっと、大切なことを言い忘れていました。「パウロは十二使徒の使徒ではない」という記事にあるように新約聖書のイエスに次ぐ主人公であるパウロは「十二使徒の使徒」ではなく、その後に続く使徒です。 

そして新約聖書全体ですくなくとも使徒が24人ほど出てくることがわかります。


使徒の守備範囲

賜物の整理という記事の中で取り上げて4つの御言葉の内、エペソ4章11節第1コリント12章27〜28節 の2つに使徒という言葉が出てきます。この2つは微妙に意味が違います。

エペソ4章11節は五役者の「特別な選びによる」使徒です。

それに対して第1コリント12章27〜28節は「教会の中でそのような機能が必要なゆえに神が配置させた使徒」です。つまり五役者の使徒として選び分けられていない(ほとんどの)人であっても、「第1コリント12章27節にある必要ゆえの使徒」に当てはまる可能性があるのです。

すなわち、大きかれ小さかれ各グループには「使徒的権威」を発揮させる人が必要なのです。たとえば現状として教会の主任牧師は「使徒的権」を発揮させる必要がありますが、そのようなことはそんな大きなグループだけのことではありません。

もっと、小さい範囲・・・たとえばひとつの家庭であっても、父親はその小さな群れの「使徒」でなければならないのです。

そして、その小さな群れの中で自分の役割を果たすことができるなら神はさらに大きなものを任せるのです。五役者の使徒職を任せられる人もいることでしょう。

そのためにフルタイムの教役者にならなければならないわけではありません。(時間の関係で詳しく書きませんが)MPMにおける使徒や預言者というものも必要だからです。

ですから、使徒になるための方法は?と聞かれたら、(もちろん一言で答えれる近道があるわけではありませんが)あえて言うなら、今与えられている責任の中で使徒的に動いていくということでしょう。


デボーション

(1) あなたにとって使徒的権威を発揮しなければならない「小さな群れ」はなんでしょうか?