第5日目:覆いなき預言者

1950年頃から10年ごとに、五役者が回復しており、1990年台からは使徒職の回復がありました。
預言運動は1980年代には盛んになりつつあったのですが、多くの混乱をもたらしたのも事実です。それは預言者を霊的に覆う使徒がまだ回復していなかったからです。

参考記事:
使徒とは何か
父の時代(聖霊、子、父という時代区分)


今日、預言的な働きが増えておりますが、それでも、すべての預言者が使徒的覆いを持っているわけではありません。むしろ多くの場合、預言者が預言をし、また、それを解釈している状態です。それをだめだとは言いませんが「預言者は解釈者ではない」という記事にあるように、混乱を避けるために、自分が見ているものが一部分である事は知るべきです。

今日たくさんの教団教派があることは、神が本来意図したことではなかったかもしれませんが、「終末の戦いに向けた主のリスク分散多教派戦術」という記事にあるように、敵の策略に対するリスク対策として、幾多もの司令系統の中で、それぞれの教会がキリストにつながり、組織ではなく御霊による一致によって教会を動かすことを容認されたのです。


教会の独立が容認される流れの中で、霊的覆いを持たない独立した教会もたくさん存在します。それは、うまくいっている内は良いのですが、油断するとカルト化や孤立、その他の問題も生じます。

そして、その問題はクリスチャン個人にも当てはまります。覆いを持たない預言者あるいは預言的賜物を持っている人というのも少なくありません。

前回の「新種のクリスチャン」の中で書いたように、終わりの時代に向けて豊かに神の霊が注がれると同時に人の霊の活動も活発になりますし、また、心の隙に乗じて、悪霊の働きも入ってきます。
ですから、特に聖霊の賜物を豊かにいただいている人は気をつけるべきでしょう。

旧約の預言者と新約の預言者の違い」記事の中に書いたように、新約の時代に生きている私達は完璧な預言をすることは不可能で、むしろ必ず間違いが生じます。

にもかかわらず、自分が完璧であるかのように見せたり、ごまかしたりすることがあります。それは完璧な預言をすることが「完全な預言者としての召しの証明」であるかのように考えているからです。しかし、事実はその反対です。完全な預言者というのは自分が間違えうることを理解し、間違えたときにはそれを認めることが出来ることにあるのです。



■デボーション

1) 聖霊の賜物のアクティベーションの為に練習しましょう。

2) 預言をする人は、謙虚に自分自身を吟味しましょう。

3) 霊的覆いを持たない人、教会は覆いを求めましょう。