第7日目:日本のリバイバルと日本の役割

キリスト教世界には常に対立がありました。それは、あるときは真理の為の戦いであり、時には神の計画の全体像を知らないがため犯した過ちでした。いずれにしても16世紀の宗教改革以降、各世紀ごとに以下のようなさまざまな対立がありました。

16世紀は「聖書的信仰」対「カトリックの伝統」の対立
17世紀は「神が回復させた教理」同士の対立
18世紀は「古典の教会」と「啓蒙思想の教会」の対立
19世紀は「創造論」対「進化論」の対立
20世紀は「聖霊派」対「保守派」の対立


21世紀における教会の対立としては「聖霊の働きに対する批判」や「使徒的、預言的働きに対する抵抗」というものも引き続きあるでしょう。しかし、新たに起こってくる多くの問題のひとつは「真実に基づく視点」と「知ろうとしないで行うアンバランスなミニストリー」との対立でしょう。

21世紀まではある意味、クリスチャンが無知であることを神は容認されていました。しかし、15世紀以降のグローバリズム(植民地化)の拡大がキリスト教の拡大に役立っていた時代とは異なり21世紀以降は必ずしも良いことばかりではありません。それが教会の首を絞め始めていることに気がついたクリスチャンたちは、立ち止まり考えるようになりました。

そのような行動の変化は、今日の情報化社会において、さまざまな真実の情報を手軽に手に入れることが出来るようになったのもその理由でしょう。しかし、真実を知ろうとしない人々は、いつまでも無知でいることができるのです。


もちろん、無知であることが悪いわけではありません。パウロもまた(第1コリント2:2)「キリスト以外は知らないことにした」と語っているからです。

問題なのは、事実に基づかず、また調べようともしないのに、「和解」や「謝罪」の名の下に「政治的な活動」を行ってしまい、利用されてしまうようなできことです。知る気がないのなら何もしないほうが良いでしょう。

あることがらについては神が容認されていたものもあることでしょう。しかし21世紀の今、神は新しい戦いに備えて軍隊を召集しておられるがゆえ、たとえ以前は良かったことでも今は害となっているのです。

「謝罪することに何のデメリットもない」と思うかもしれませんが、「戦略的とりなし的な謝罪すべきではない理由 」という記事にあるように結果的に現在の日本を圧迫するのです。

※ その他、謝罪の問題点については次の記事に詳しく書いています。「国家の罪を代表してクリスチャンが謝罪することの問題点」 (結構長文です。)

また、罪責感が植えつけられるときに、過去の歴史に神が隠しておられた霊的予型としての宝が隠されてしまいます。

なぜなら、太平洋戦争の出来事は、霊的な意味で「日本が世界に出て行って世界を解放する働き」の雛形だったからです。


霊的な出来事の前に、実際的な出来事が起こるというのはよくあることです。(第1コリント15:46)に「御霊のものは血肉のものの後に来る」と書いてあります。霊的世界に起こる出来事の予型として実際的なものが起こる事はよく見られることです。

そういう意味では、日露戦争〜大東亜戦争までの出来事というのは霊的な予型だったのです。


この見解は、日露戦争〜大東亜戦争までの日本の決断が態度が正しいちか、何も悪いことをしていないという意味ではありません。

ただし、良いか悪いかについては「国際法上無罪であった日本」という記事を読めばわかるように、日本が必要以上に悪者にさせられているのがわかります。


「西洋諸国によって世界のその他の地域が植民地化され搾取される」という、それまで誰も変えることができなかった法則を日本が変え、結果的には日本が立ち上がったことによってアジア諸国やアフリカが独立したからです。

そして、基本的に大多数の東アジア諸国は「大日本帝国に感謝するアジア諸国」という記事にあるように、日本に感謝しているのです。


それでも、ある人たちは東アジア諸国が日本に感謝していると聞かされても二重の意味で戸惑いを感じるかもしれません。つまり、もともと日本国内では自虐史観が優勢であることだけでなく、それに加えて、マレーシアやインドネシアという比較的親日の国からのゲストスピーカーであっても「日本に傷つけられた」などの旨を語ることも多いからです。

その理由については「クリスチャンのほうが嫌日傾向が高い理由」で説明していますので、余計な経験によって大切な事柄を失わないようにしていただきたいと思います。


日本のリバイバルについて多くの人たちが預言しています。それは「これまで世界のどこにもなかった様なものである」と言われています。多くの人は、それに対して、リバイバルの規模や奇跡の度合いについて語っていると考えます。たしかにそれもいえるでしょう。

しかし、それに加えて確かな事は、大東亜戦争において破竹の勢いで東アジア諸国を植民地支配から解放したように、日本のクリスチャンが世界に出て行き、サタンにとらわれている多くの人々を解放する働きにつくことでしょう。

しかし、今日キリスト教世界で主流の「反日」「自虐史観」的な見方であるなら、そのような日本に与えられた宝に気がつく事から遠ざけます。また、日本に対して尊敬の念を持つことは難しいことでしょう。


その宝に気がつく第一歩は正しい歴史を知り、そしてバランスの取れた冷静な見地を持つことです。 そして、さまざまな真実、史実の整合をとり、現在神が何をなさろうとしているのか、あるいはサタンがどのような戦略でやってこようとしているのかをキャッチすることです。

それゆえ、今日「使徒」の役割のひとつである、「整合をとる」という部分がますます求められる時代となるでしょう。


■ デボーション

1) さまざまなとらわれから解放されるように祈りましょう。

自虐的な歴史観は日本人に刷り込まれたものなので、たとえ知識として理解できたとしても、心で納得するには時間がかかります。

また、一旦マインドコントロールが解けたとしても、逆に、だまされてきたことに対する怒りなどといったアンバランスな状態が生じることがあります。

まだ、マインドコントロールが解けていない人の為に祈りましょう。自分が間違っていたことを認めるのはつらい体験だからです。

2) 真実を求める人が、神が意図している以上のことに関わりすぎることが無いように。

真実を追究するあまり、そのことにとらえられている人が大勢います。

3) 日本に与えられた約束を宣言しましょう。