G工イト・サ三ットの為の祈り会における預言的行動の検証

G工イト・サ三ットの為の祈り会はとても特別な祝福されたときでしたが集会スタイルが特殊であった事や、預言的行動と言うものになじみが無い方にとっては深くは入っていけなかったという意見もお聞きしています。

解説が加えられなければ、ただ単なる「盛り上がったイベント」で終わってしまう可能性もありますので、そこでなされた事に対しての検証と解釈が必要だと思います。


さて、初日に、天を突き破るかのごとく、かなり盛り上がった日本刀のイミテーションを用いた預言的行動についてですが、それは祈りの祭典の最後に分かち合われた「立ち上がる侍(さむらい)の幻」とつながっている事は以前お伝えした通りです。

最初の集会であったがゆえ、第二の天を突き破り第三の天に達するための祈りが必要でしたが、でも、どうして「侍」だったのでしょうか。


もちろん、「侍」(さむらい)という言葉を使うときに誤解されないように注意しなければなりません。「侍」にはもちろん悪い意味も含まれていますし、呪いもあります。ある程度受け入れられている言い方をすると「武士道」のほうが正しいかも知れません。

でも、究極を言えば、「侍」かどうかは重要なことではなく、これから解説する内容に至らせるための道しるべに過ぎないとでも思っていただいてもかまいません。

いずれにしても、今回啓示された「侍」スピリットが立ち上がる事とG工イト・サ三ットへの祈りには関連があることを知っていただくために「G工イト・サ三ットの背後で何が働いているのか」そして「誰が侍スピリットを日本人から奪ったのか」という2つのテーマに沿って解説させていただきたいと思います。


世界の問題を解決するためにG工イト・サ三ットに首脳たちが集まりましたが、実質彼らが世界を動かしているのではない事は、事情に詳しい方でなくてもある程度は理解できると思います。背後で首相、大統領より力を持った存在がいるといっても別に陰謀論を持ち出すまでもなく、リバイバル新聞7月20日号の「後の雨」に掲載されていたように「制御不能な人の欲望に基づいた投機マネーが世界を動かしている」ということを考慮するなら理解に難くないと思います。

ですから、「世界の首脳達にへりくだりと知恵が与えられて石油価格、CO2の排出、貧困の解決」などといったG工イトで取り上げられる議題がうまくなされるように。」と祈る事も大切かもしれませんが、究極的に言うなら、それらは、グ口ーバルな祈り関わっていくことの入り口であり本城ではありません。

ですから今回のとりなしの祈り会が成功したかどうか、あるいは、わざわざG工イトの為のとりなしのグループが日本に来た事の意義の有無を、サ三ット後に、石油価格がどうなったかどうかや「ジンバブエの経済の情勢が好転したかどうか」などで測ることはできません。

 私にとって、最も大きな意義は、まず第一に、そういったアクティビティーを通じて「北海道に使徒的預言的土台が築かれた」ことが重要であったと思います。


いずれにしても、現在の世界の問題、貧困、石油価格の高騰、戦争も投機マネーの結果であります。そういった社会の混乱はサタンが願っている事ですが、サタンは単に人の欲望を利用して(消極的に)世界をコントロールしているだけではなく、
イル三ナティー、グ口ーパルエリート、国際金融組織、フリー〆ーゾン、その他もろもろの名前で呼ばれる人々や機関に積極的に関り、世界情勢を背後で動かしているのです。


さて、それでは、それらをすこし横によけて日本の歴史を見てみましょう。

日本から侍スピリットが奪われる機会が歴史上2度ありました。一度目は明治維新でした。廃刀令が出たことからわかるようにこれは物質的に侍が失われました。

そして、太平洋戦争の敗戦と占領政策の一環として「日本人に罪責感を負わせたことによって」良い意味での侍精神も失われてしまいました。


いずれにしても、これらの歴史の節目に日本に介入したものは、単なる国家ではなく、その背後で働く、闇の勢力なのです。実際、明治維新、太平洋戦争後に日本に介入した、ペリー提督、ペリー提督を日本へ派遣したミラード・フィルモマ大統領 マッ力ーサー元帥、ルースベルト大統領、トルーマソ大統領などはいずれもブリーメーゾンです。

したがって、日本から侍を奪った存在と今日、グ口ーバルゲートの為の祈りの(究極的な)対象は同一であり、G工イトのサ三ットの為の祈り会を通じて、たとえ私たちが意識していなかったとしてもそれに対する霊的な戦いでもあったのです。

ですから、この集会を通してなされた霊の戦いは、江戸の末期から、いや、もしかしたら種子島への鉄砲伝来、以来この国に進入しコントロールしようと働いていた、グ口ーバル化の背後で働く霊的力に対する日本における公の霊的戦いであったと私は考えます。


ですから、G工イト・サ三ットの為の祈り会に先立ち、「立ち上がる侍」の幻が祈りの祭典で示され、、翌週のG工イト・サ三ットの為の祈り会の冒頭で「侍」が天の窓を開くという預言的行動を伴ったとりなしの祈りがなされたのです。

侍や日本刀と言ったものは、さほど重要でなかったとしても、これらのキーワードを通じて私たちは、私たちの祈りの役目が何であったかを学ぶ事ができるのです。


これから社会はますますグ口ーバル化されていきます。これらの一連の出来事を通じて、北海道を主はそれらの分野に対する祈り手として用いられようとされている事を感じました。
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