山・海・虹・太陽・月
(2008年、恵山、恐山、津軽海峡とりなしツアーレポート)

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今回のとりなしツアーの企画は日本に対して語られた多くの預言や使徒的アドバイス、今日まで北海道の諸教会が祈りの祭典や祈りの塔、その他のとりなしの行動を通じて達成してきた事柄に基づいたものです。

特に2005年にチャックピアス師が紹介したJohn Price師の「恐山の強い人についての幻」が大きな励ましとなっております。

John Price師・恐山についての幻(MP3音声ファイル・パソコンのみ)


今回のとりなしツアーを非常にスムーズであり達成感に満ちたものでした。天候も最高で寒さも感じず、2日間で840kmもの距離を走破するというハードなものでしたが大きな疲れは感じませんでした。

今回の旅は、がんばって霊的な扉を何とか開こうとするものではなく、主の守りの中で、主がなしてくださる御業と計画を実行するためのボタンを押しにいくだけであったかのように感じます。


午前7時前に札幌を発ち4時間以上車を走らした後、恵山が見えてきました。かなり急な坂をしばらく上ると開けた場所に駐車場があります。紅葉が美しい季節でしたが、恵山は火山なのでその周りの紅葉とは対照的に溶岩のごつごつとした岩肌と、崖状の山肌のところどころに吹き上がる硫黄の噴煙が対照的でした。

山頂に向かう道のあたり一帯は賽の河原と呼ばれ霊場が広がっており、あたり一面に石を積み上げた石塚や地蔵などの偶像があります。

恵山の噴煙が噴出す崖面のがれ場の中腹にある小高い丘の上を選んでとりなしの時を持ちました。ロケーションとしては最高なのですが時折かなり強い風が吹きつけていました。

賛美と祈りの後、「恵山への宣告」を読み上げ角笛を吹き鳴らしました。

またいくつかの預言と宣言をいたしました。

観音は天の女王にも関連していますが、恵山の中腹の目立つところに観音として信仰されている自然の岩がありました。その形からしてこの岩が信仰されているのは明らかです。そしてじつは似たような「畜生観音(鬼岩)」と呼ばれる自然石が恐山にもあるのです。恵山と恐山との契約を取り持っているのが観音(すなわち天の女王)であることを象徴しているかのようでした。

私たちは観音の力を打ち砕く祈りをしました。

その夜ツアーの途中に受け取った観音に関するとりなし手からのメール


午後3時半にフェリーに乗りました。大間港に到着後、北海道から持ってきた石を置き、北海道と本州がひとつにつながっていることを宣言しました。

その夜は恐山まで14kmの距離にある薬研温泉に泊まりました。恐山の宿坊、およびイタコが経営する宿を除いてもっとも近くにある宿です。この日の夜は主の守りの中で4人とも一晩中ぐっすり眠ることができました。


翌朝、午前8時50分ごろに恐山の霊場に到着しました。昨日まで「恐山秋詣り」だったのである程度にぎわっていたと思いますが、この日は閑散とした感じでした。印象としては、恐山への信仰が弱まっているように感じます。イタコも高齢化で後継者がほとんどいない状態であると聞いています。しばらく祈り覚えながらお寺の境内を見学した後、その横に溶岩のごつごつした岩肌が広がっている「賽の河原」地区へ入りました。

主が何を語られているのかを聞き、聞くこと見ることを妨げている霊の働きを取り除く祈りをした後に、ふと横を見ると、高さ2mぐらいの供養塔がありました。

「納骨塔」という表示と「おさいせん」と書かれた箱がある以外は何の説明もありませんが、様子からして水子や子供の供養の為のようでした。その上部に直径15cmほどの穴が開いていてそれが塔の内部につながっています。中をのぞいてみると入り口付近に遺灰の破片が散らばっていました。これは匿名でひそかに投げ入れ、遺灰を供養するための塔だったのです。

ここで、以前とりなし手が示されていたビジョンにしたがって、悲しみの中で、宗教的な供養をしながらも慰めを受けることができず、落胆と恐れの中にいる遺族、中絶をした方たちの為に祈りました。彼らが真の慰めであるイエスキリストに出会うことができるように。

溶岩地帯の敷地内一帯の通路のあちらこちらに石が積み上げられており、また何十という箇所から硫黄臭のガスが噴出しています。あちこちに供えられた水子供養の風車が回っており、また高さ10cmぐらいの小さい地蔵の形をした偶像が供えられています。かなり異様な風景ですが、私たちにはまったく怖いという感覚はありませんでした。

敷地内に血の池地獄と呼ばれる酸化鉄などによって朱色に染まっている池があるのですが、訪れたときにはまったく赤みはありませんでした。一帯は活火山なので水質は変化するものですがここまで色が変化したことは今までなかったようです。霊的にも大きな変化を迎えていることの予型を感じさせました。

場内を一通り回った後、その敷地に隣接している宇曽利湖(うそりこ)湖畔を祈りの場所に選びました。

この湖畔は白い砂(よく見ると透明な砂も混ざっている)とエメラルドグリーンの湖水で下手なリゾート地も真っ青なほどの美しい風景です。それゆえ恐山では宇曽利湖畔は地獄めぐりの後の極楽浄土になぞらえています。

恐山とはこの宇曽利湖を取り囲む八つの山の総称であり八つの山は蓮(はす「極楽浄土をあらわす」)の八つの花びらを意味します。

いつものように賛美と祈りの時をもち「恐山への宣告」をみんなで読み上げました。

角笛を吹き鳴らすと、この湖は山に囲まれている為か角笛の音がかなり遠くにまで美しく響き渡りました。

「義の太陽の旗」を掲げ、正しい王であるイエス・キリストの名を宣言しました。この場所を使って、恐れで支配し、この日本をコントロールする足場としていた天の女王の力が打ち砕かれたことの宣言です。

宇曽利湖湖畔を祝福しました。ここがもはや極楽浄土という偽りの平安ではなく、人の心を癒す真の神が臨在される場所であることを。また、人々を束縛している積み上げられた恐れと失望を砕く預言的な行動をしました。

今回の参加者たちが見た夢や幻

恐山の遊女

引きずり下ろされる僧侶


午後1時50分に大間港から船に乗りました。津軽海峡にて船が出港して20分後私たちは甲板に出ました。賛美と「津軽海峡への宣告」を読み上げた後に、エレミヤ61章の預言的行動になぞらえて恐山と恵山から持ってきた石を結び合わせて津軽海峡の深みに投げ入れました。

これは、津軽海峡をはさんでなされた恵山と恐山との古い契約は打ち砕かれ、津軽海峡によって隔てられていた北海道と本州はに橋がかけられたことの宣言です。私たちは北海道から沖縄まで一本の剣とされたのです。

北から南まで妨げなく聖霊の風が吹きぬけることを宣言しました。

義の太陽を掲げ、キリストの主権を宣言しました。私達は大きな喜びで満たされました。


下船した後に、昨晩とりなし手の一人から送られてきたメールの内容を聞かされました。薬研温泉は携帯の電波の圏外なので今朝まで受け取れなかったからです。それには「主からプレゼントが用意されている。」と書かれていたので、プレゼントが何かと考えながら函館山に向かいました。

山を登る急な道を車で登っているときに「あっ」と思う光景を目にしました。

「虹だ!」

私たちの真正面で、天候は晴れにもかかわらず、太陽の横にきれいな虹色の帯ができているではありませんか。私たちは思いがけない出来事に驚き畏れました。

それが主が約束されたプレゼントであったことを確信しました。このときに主が「完了した。」と語っておられるようでした。私達は喜び踊る気持ちで山頂に向かいました。


日が傾いた山頂で聖餐式の時を持ちました。賛美し祈り宣言をしました。この北海道と本州がつながり、その隔ての壁が崩れ落ち、風が通ったことを宣言したのです。

ブドウジュースを地に注いで、この地の聖めを宣言しました。それは北海道で最初にイル三ナティー、フリーメーンソなどのグローバリズムの流れが進入したこの函館の地において、G工イト・サ三ットの為の祈り会で主がなされた業の続きとしてこの東の果て日本において反撃が始まったことの宣言でもありました。

私たちは函館山山頂から沈む太陽を見ました。通常太陽が沈むことは終焉を意味しますが、今回はそうではありません。それは古い時代が終わり新しい時が来ることを意味しているからです。すなわち偽りの太陽である天の女王が引き下ろされ、義の太陽なるイエスキリストが上られるのです。

ツアー中に自宅に送られていたあるとりなし手に示されたビジョン

先に紹介したとりなし手からのメールに引用された詩篇19:編4-6節

その事を象徴するかのように、太陽と入れ替わりに東の空には満月が昇っていました。月をキリストの象徴のように語ると異教的、ニューエイジ的ではないかと心配されるかもしれませんが、今晩だけはそうさせてください。なぜなら今日10月14日は仮庵の祭りの初日、「神の言葉」が仮庵(すなわち肉体)にとどまられた日、この満月は今から約2000年前のこの日に救い主イエスが誕生されたことを象徴しているからです。

先に紹介した詩篇74編13,14節には次の言葉が続いています。

(詩篇74章16節) 昼はあなたのもの、夜もまたあなたのもの。あなたは月と太陽とを備えられました。

新改訳聖書で「月」と訳されている言葉の原語は輝くものです。私たちは津軽海峡を見下ろす夕闇が迫るこの函館山山頂にて月と太陽、そして太陽によって作られた虹彩を心まで楽しんだのです。


帰り道、八雲(やくも)付近のドライブインで夕食中にテレビのニュースを見ていたら、フェリー会社が「函館〜大間」間の航路の閉鎖を取りやめ一年間継続すると決定したことを伝えていました。私たちは本州と北海道が霊的につながることを願ってこのツアーを企画しましたが、「実際的に本州と北海道がつながった」ニュースを聞くことは(しかも勝利に満ちた帰路において聞くことは)霊的世界で起こった変化について私たちに知らせているように感じました。

今回、多くの方々の励ましと、祈り、そして啓示による確認があり、また、状況的な確認がありました。そして何よりも「勝利感と平安という」主ご自身からの励ましと確認があったことをうれしく思います。

今回は4人だけのツアーでしたが、妻とまた、所属教会の祝福を受けて他教会の方も参加できたことをとてもうれしく思います。そういったことや合同賛美と祈りの集会で祈っていただいたり、24時間の祈りの塔でも2度ほどビジョンを分かち合い祈りを受けることによって北海道の教会から遣わされたという形での開催となったからです。

今回、大きな助けになったのは私たちを支えるとりなし手達の預言的な啓示の言葉です。今年の7月までまる二年間、預言ワークショップを開催したのはまさにこのような戦略的な行動に私たちが入っていく為であったと思います。それゆえこの日本を勝ち取っていくためにも健全な形で預言が有効に用いられることを願います。

霊的な変化を一番実感できるのは現場で働くものたちです皆さんがさらに伝道や主の御業に励まれて開かれた天を実感していただくことを期待しています。

最後に、皆さんのお祈りを本当にありがとうございました。

Y.O.


今回参加されたKaさんのレポート

今回参加されたKiさんのレポート 

今回のツアーの呼びかけの言葉

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