いわきとりなしツアーレポート by Fukushima_5 (11/04/25)

とりなしツアーの概要

今回のとりなし旅行は大きな祝福に満ちたものでした。

帰宅後「どうだった?」という妻の問いに最初に答えたことは「楽しかった!」でした。そう、これまで教会の活動の中でこれほど笑ったことはなかったほどに喜びと笑い祝福と勝利感を感じた旅行でした。

とりなしとは「天と地をつなぐ働き」であり、その本質は「神と共に時間を過ごす」ことです。そうであるなら喜びに満たされて当然なのです。

今回与えられた総勢5人のメンバーは「札幌24時間の祈りの塔」で夜中の時間を担当しているものたちであり精鋭部隊でした。


GMCの召し

私たちの受け入れ先となったのは福島県いわき市にある平キリスト福音教会の活動であるGMC(グローバル・ミッション・センター)です。

彼らは放射能の情報が交錯し多くの人がいわき市を脱出し行政の機能も麻痺する中、そこにとどまり続け、被災者を支援し続けています。彼らがこの地にとどまることを決めることの確認のひとつは「神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」という言葉で始まるイザヤ書30章15節〜21節の言葉でした。

彼らは人間的な判断(*)で逃げることより、主に信頼し、主が成し遂げたいと願っている御業をなすことを決めたのです。

(*注)とはいえそこに放射能があるのは事実であり長い滞在においては健康被害も予想されます。ですから、そこを退避することも懸命な決断であるのは事実です。

この教会について書かれた「リバイバル・ジャパン11//04/17の記事


人間の盾

私がこの地を訪問して24時間の祈りを持ちたいと思った理由は、先の「福島県いわき市での24時間祈りの塔ツアーの意義」という記事で書いたように。この場所が特別な場所だからです。原発事故が起こり菅首相が「このままでは東日本が壊滅してしまう。」と発言する中、悲観論楽観論が交差していました。そんな中で私は「日の昇る国として与えられた約束が成就する前にこの日本が壊滅してしまうことを神が許されるはずがない」と確信しましたが、その確信を手助けしたのは、GMCの活躍です。

放射能を恐れずに命がけで主を愛し、民を愛するためにそこにとどまる民がいるのであるなら、彼らが滅ぼされることを主は望んでおられません。

今回の地震の原因が何であれ、すべては主の許しの中でなされたことです。そうであるなら主ご自身が「ここまでは良い。これ以上はいけない。」(参考:ヨブ記38章10〜11節)という限度を持っておられるのです。

いわき市が大丈夫であるならこの日本が大丈夫なのです。彼らの信仰は人間の盾としてこの地を覆う滅びの力がこれ以上広がらないように防波堤となっているのです。


主な活動内容

@ 今回の第一の目的はいわき市にあるそのグローバル・ミッション・センターで24時間の祈りを開催することでした。 (祈りの中で各自が示されたことの備忘録

A 被災地での瓦礫撤去、傾聴ミニストリー、子供と遊ぶ、プレーヤーウォーク、小名浜港での祈り、漁師さんに手を置いて祈るなどのボランティア活動

B 9つの教会を訪問し牧師達を励ますこと。

単純に言って、その地の牧師たちを訪問し励ますことはすばらしいことです。今回のように被災地であり今なお原発で苦しんでいる場所を訪問すると言うことは大いに理由があることです。

また、私たちは、GH教会やSCG教会で集めたお金を牧師たち個人に対して献金いたしました。大きな額ではありませんが、口先だけでなく捧げる行為によって共に立っているという心を表すときに牧師たちの顔が輝くのを感ました。


札幌で主がなしておられる御業がいわきを祝福

しかし、これらの訪問は、そういった慰めや励ましのほかに大きな神の計画がありました。この訪問は北海道を代表してこの地の教会たちと使徒的につながることを意味しており、それにはこれまで神が札幌でなしてくださっていいた「@牧師セル A使徒的ミニストリー B24時間の祈りの塔」という3つの土台が生かされたのです。

それらの説明の記事「2011年のいわき市へのとりなしツアーの土台となった札幌における3つのミニストリー


土台を築く

地元の牧師たちに24時間の祈りの塔のビジョンが与えられていることに驚きました。私たちがRCC教会の祈り会を訪れたのは最終の夜のことでした。いつものように西森牧師とそこに向かおうとナビゲーターに住所を入力したらそこは新しい造成地であったために表示されませんでした。

そこで、地元のM牧師に道案内を頼むことになりましたが、そこに神の摂理がありました。この訪問が地元の牧師達をつなげる働きとなったのです。

これらのことからも今回のツアーが単に現地で祈ること以上のものであったことがわかっていただけるでしょうか。


グローバルミッションに対するミニストリー

この教会は、本当に良い働きをしています。しかし忘れてはならないことはこの教会のメンバー奉仕者自体が被災者だと言うことです。 「神を愛し命がけで市民に仕える」というのは言うのは簡単ですが、多くの戦いがあり、彼ら自身、震災以来多くの混乱の中で無我夢中で必要を満たしていただけなのです。

私がいたときには50人以上の働き手がいましたが、教会のメンバーはほんの数人でコアとなるスタッフはほんのわずかです。ほとんどが外からやってきたボランティアです。それゆえ、境界線、覆い、権威の問題があるように感じました。

働きに来ているボランティアたちの動機もさまざまで「聖霊に満たされたエネルギッシュな人」から「自分探しのニート」まで玉石混合です。また聖霊に導かれてここにやってきたといっている「とりなし手」ですら、霊的覆いを持たないフリースピリットに動かされている人もいるのです。

それゆえ私たちは、祈りの塔において、牧師スタッフのための祈り、教会メンバーのための祈り、境界線のための祈りなどをしてきました。

GMCの中心スタッフはかなり忙しく動いていたり、そうでなければ休暇をとっているのでなかなか全員そろうことはありません。また、その場にいても3分とゆっくり話をすることは難しいです。そういった中で、(これは26時間の祈りの中で示されていたことでもあるのですが)最終日の出発前になんと中心スタッフが全員そろっていたのです。

私たちは、彼らのミニストリーをして祈ることが出来ました。そのときに与えられた御言葉が、エペソ人への手紙4章16節なのです。

エペソ4:16 キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。

エペソ人への手紙4章11節〜16節

彼らの働きが継続されるためには祈りで支えられる必要があるのです。


GMCの守りと判断のために

彼らは外部からの情報が乏しいです。テレビやニュースはもちろんインターネットからの情報もほとんど見ていないようです。ボランティアをしている方々の間で放射能量が話題になることはありませんし、今食べている食材がどこから来たものかを気にする人もいません。スタッフの一人は「Fukushima 50」という言葉の存在すら知りませんでした。

忙しすぎることと、余計な情報に惑わされず主を信頼し奉仕に専念するには情報の遮断も必要なことかもしれませんが今後、放射能量が増加した場合、少なくとも、子供は退避すべきであるという判断が必要な事態も生じるかもしれません。

ですから、必要なときに正常な決断が出来るように祈っていく必要もあるのです。


世界の福島

福島は世界中から祈られているとはよく言われることですが、福島から世界に対して、祈りがなされるようになります。この地から放射能がばら撒かれてしまいましたが、この地から流れる聖霊の流れが世界に広がるようになる。

最後に彼らに分かち合った言葉の音声はこちらです。

そのことはSIHOPネットワークのメンバーの一人であるI姉妹からのメールにも表されています。


地が揺れたときに霊的世界も変化した

4月には行ってからも余震は頻発していますが、いわき市が震源地の地震が多く発生しています。

このいわき市が集中攻撃にあっているように見える地震はいわき市が霊的に重要なことの表れのように感じます。

「地が揺れ動く=霊的な変化」 あるいは 「霊的な変化=地が揺れ動く」という記事にあるように、地震が起こるときに霊的な変化があります。今回、地震をきっかけに病の癒しやうつが癒された話をいくつも聞かされました。イエスの十字架の折になされた霊的な変化によって地震が起こったときに多くの聖徒がよみがえった(マタイ27章52節)のであるのなら、病が癒されたとしても当然のことなのです。


これら一連の出来事は昨年5月に札幌で開催された祈りの祭典で分かち合った「二つの波」の一つ目の滅ぼす波です。地震の波、津波、原発事故による放射能の波に日本は襲われていますが、一つ目の波はこれで終わりではありません。今後、経済崩壊の波もやってくることでしょう。

しかし私たちはイザヤ書59章に「敵は洪水のように押し寄せるが、主の御霊はそれに向かって軍旗を立てる。」と書かれているように、主に向かいとりなしの手を上げることによって主にある軍旗を掲げていくのです。