聖書に基づいた正統派キリスト教会★札幌クリスチャングループ

塩が結晶のままで存在していては味わっていただけない

イエス様は私たちが「世の光、地の塩」であることについて語られました。

塩とは何でしょうか?私たちが日常的に接する塩は料理の味付けに使われるものであり、私たちの生命を維持するために必要不可欠なものです。

それほど大切な塩ですが、料理された時にはそれを見ることはできません。言い換えるなら塩は結晶であることをやめて溶け込むときにその真価が発揮されるのです。

このことは教会にも言えることです。教会のメンバーたちが神様にある家族として定期的に集い交わることはとても素晴らしいことです。また、それはガソリンスタンドのようにエネルギーを補給する時であると言えます。
しかし、もし信者たちだけで集まっているだけであるなら、それは塩が結晶として存在しているだけの状態です。この社会のために役立つことはできません。神の御国の価値観をもの地上に伝えるためには私たちは地の塩として社会に溶け込んでいく必要があるのです。

ライフ・プレイス・ミニストリーということば

ライフ・プレイス・ミニストリーとは私たちの造語で一般的にマーケットプレイス・ミニストリーと呼ばれているものがそれに近いと思います。つまり、既存の教会の枠を離れて一人一人の信者の活動を通じて神の国の価値観を伝えていく働きです。

しかし、私たちがマーケットプレイスという用語を用いない理由は、ともすれば、それは有名な歌手やスポーツ選手、あるいはお金を持った経営者やビジネスマンがその名声や影響力を使って行う働きのように誤解されることがあるからです。

私たちが願っていることは、普通の人の普通の生活を通じて神様の栄光があらわされ神の御国が拡大されることです。といいますのも、私たちの生活そのものが「神への礼拝と賛美」(ローマ12:1~)だと考えるからです。

普通の人であっても、生活の場や仕事の現場においての活動もまたそれなのです。ですから、教会のメンバーたちはそれぞれの生活の場で神の国の価値観を伝えるために用いられると考えています。