聖書に基づいた正統派キリスト教会★札幌クリスチャングループ

聖書とキリストを信じる教会

自分たちを紹介する上で「聖書とキリストを信じる教会」という表現はシンプルなようでかえってわかりにくいように感じられるかもしれません。当たり前のことを言っているだけに感じてその意図が分かりにくいからです。

わかりやすい言葉で言うとプロテスタント系の教会ですがわざわざこのように表現しているのには二つの理由があります。

一つは私たちの教会を始めた宣教師を送り出した教会はメキシコというカトリック色が強い土壌で生まれたという背景にあります。


日本ではカトリック教会に対してそんなに悪いイメージはないとは思いますが、メキシコをはじめラテンアメリカでは事情が異なり、マリヤを神のように崇拝しているなど一般に言われているプロテスタントとの違いに加えて、土着の宗教と結びつきがもたらす偶像礼拝もさかんに行われており別の宗教のようです。

そういった中、40年ほど前に真の神を求める運動が自然発生的に起こりました。シンプルに聖書とキリストを信じる教会の群れが発生したのです。

しかし、彼らは自らをプロテスタントとは名乗りませんでした。

それは、プロテスタントはその意味が「反抗」なのですが、それは中世のカトリック教会に反対する勢力として生まれたのですが、私たちは誰かを敵視するのではなく、ただ純粋に神と聖書を信じる群れだったからです。

それゆえ自分たちをシンプルに「クリスチャン」(※)と名乗ったのです。

(※)メキシコをはじめ多くのラテンアメリカの国々ではクリスチャンと言うときにその中にはカトリックは含まれません。外部の人がそうみなしているのではなく、カトリックの人たち自身も「私たちはクリスチャンではなくカトリックだ」と主張しています。

シンプルな信仰

二つ目の理由は、私たちは初代の教会にならったシンプルな信仰を求めているからであり16世紀の宗教改革をルーツとしていないからです。

もちろん初代の教会とは時代も文化背景も異なるので同じようにすることはでません。

それでも初代の純粋な信仰、聖書理解を模範として、それらを現代にあった形(※)で適応していきたいと願っております。

(※)現代にあった形で適応すると言う意味は、聖書の原則を妥協するという意味ではなく、頭にかぶり物をしないなどという意味です。

 


使徒信条(しとしんじょう)

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、 イエス・キリストを信ず。

主は聖霊(せいれい)によりてやどり、

処女(おとめ)マリヤより生れ、

ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、

死にて葬られ、

陰府(よみ)にくだり、

三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり、

かしこより来たりて、 生ける者と死ねる者とを審(さば)きたまわん。

我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、 聖徒の交わり、罪の赦し(ゆるし)、身体(からだ)のよみがえり、 永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。  アーメン。