ある事件が起こった際に、その事件の真相を突き止め犯人を確定するのに必要なものは言うまでもなく証拠である。そしてその証拠とされるべきものは、決して噂や推測ではなく、「誰々がこのように言っている」というようなことでもなく、唯一、『明確な事実を示すものごと』のみである。
今さらのようにこんな当たり前のことを申し上げるのは、9・11事件について、その『明確な事実を示すものごと』があまりにもぞんざいな扱われ方をしており、またあまりにも人々に知らされていないのではないかと疑われるからなのだ。
さらに、証拠つまり『明確な事実を示すものごと』についての考え方が一般的にいって非常にあいまいな状態のままに放置されているのではないかと懸念される。一つの分かりやすいたとえを使ってご説明しよう。
* * * * *
人物Aがある殺人事件の犯人ではないかと疑われたとする。殺人現場でAの指紋が見つかりAの所持品が発見された。これは確かに証拠である。Aには動機も十分にあり殺人時刻の少し前に被害者と会って口論していたという情報もあった。さらにAの自宅から被害者の部屋にあったはずの物品が見つかった。これらも証拠となりうる。手袋をつけていたとみえて殺害の武器であるナイフに指紋は無かったがそれは間違いなくAの所有物であった。こういった様々な証拠から人物Aが犯人であるという説明が作られた。
ところが捜査が進むうちに、Aが殺害の時刻と推定された夜に他の場所にいたという確実な証拠となる事実が発見された。さてこの場合、この殺人事件の真相をどのように判断すべきだろうか。
当然だが「Aがこの事件の犯人である」という説明はこのたった一つの事実によって変更されることになる。つまりこの事実と矛盾しないように修正されなければならない。そしてもしその修正が不可能なら、「Aがこの事件の犯人である」という当初の説明は放棄され、あるいは少なくとも「凍結」されなければならず、その場合、この説明を「真実である」と主張できなくなる。
* * * * *
まとめてみよう。「証拠があるから真相は○○である」と断定してはならないのだ。決定的に大切なのは逆に《「○○ではありえない」という証拠が存在しない》という点なのである。様々な証拠によって多くの説明が主張されている場合、
★ 他の説明には《「そうである証拠」も「そうではありえない証拠」も存在する》が
★ ○○にだけ《「そうである証拠」が十分にありかつ「そうではありえない」証拠が存在しない》なら、
そのとき始めて「○○を真実であり他は誤りである」と主張できるだろう。
もし一つの説明がある事実と矛盾する場合、その説明はその矛盾がなくなるように修正されなければならない。もし修正が不可能な場合、その説明は「真実ではない」として放棄され、あるいは少なくとも「凍結」されなければならず、もはやその説明を「真実である」と主張できない。これは当然のことである。
そしてもしある説明が、それと矛盾する事実を意図的に無視して「真実である」と主張されるなら、その説明は「虚構である」と判断されてしかるべきである。
* * * * *
9・11事件は日本を含む世界中の国々を巻き込み深刻な影響を与え続けている。このような重大事件・重大犯罪を取り扱う際に、こういった「何が真実で何が虚構なのか」を判断する基準をいいかげんなままに放置して、単に「主要な風潮」に押し流され「信じるしかない」と追随するばかりなら、そのような態度は主権国家である我国の将来を取り返しのつかない事態にまで追い詰めていくことになるだろう。近代国家は決して無論理・反理性によって運営されてはならないのだ。
そこで、まずこの9・11事件を判断するための証拠つまり「明確な事実を示すものごと」とは何か、また今まで米国でそれらがどのような取り扱い方をなされてきたのか、検討することにしたい。
[物的証拠について]
2001年9月11日に米国で起こった「同時多発テロ」は一般的に次のように説明される。
《ビン・ラディン率いるアルカイダに所属する19名のイスラム・テロリストが、当日朝に4機の民間ジェット旅客機を乗っ取り、2機はニューヨークの世界貿易センター(WTC)ビルに、1機はワシントンの米国国防総省(ペンタゴン)ビルに激突し、残る1機はペンシルヴァニア州シャンクスヴィルの草原に墜落した。その結果世界貿易センターの第1ビルと第2ビルが崩壊した。そして乗っ取り犯を含む合計3千人近い人々の命が奪われた》。
これが史上希なる重大犯罪であることに一点の疑いもない。ところが、この犯罪が行なわれた直後から奇妙なことが起こり始めた。「報復」に名を借りた米国によるアフガニスタンへの侵略戦争、結局ウヤムヤにかき消された「炭素菌事件」などもあるのだがが、その陰に隠れてもう一つの極めて重大な出来事が起こっていた。
この大犯罪の物的証拠が続く4ヶ月ほどで次々と姿を消し、永久にこの世から失われるという異常な事態が進行していたのだ。米国政府機関とニューヨーク市当局の手によって、WTCの7つのビル群を作っていた35万トンを超える鋼材がほぼことごとくリサイクルにまわされ、そのうち判明しているだけでも18万トン以上がスクラップとして中国とインドに破格の値段で叩き売られた。アルミニウムなどの他の金属も米国内外の再処理業者に売り飛ばされた。
そして売り物にならない瓦礫類は、そのほとんどが原形の見分けもつかないほど粉々に粉砕され砂状あるいは小麦粉並みの微粒子と化していたのだが、ニューヨークの北にある埋立地に放り込まれた。おそらくその中には犠牲者の遺体の部分も大量に含まれていたはずである。
またそれには「凶器」と化してビルに激突した2機の飛行機の残骸も含まれていたのだが、それらは何一つまともな調査も分析もされないままこの世から消えてなくなった。しかしFBIによると、どんな激しい墜落にも耐えることのできたはずのブラックボックスは2機分とも《発見されなかった》。
奇妙な話である。2千数百人が犠牲となるような重大犯罪で、その大多数の命を直接に奪った出来事の物的証拠に対して、一体全体どうしてこれほどのぞんざいな扱いができたのだろうか?
犠牲者の大多数がWTC第1ビルと第2ビルの崩壊の中で亡くなった。そこは紛れも無い殺人現場だったのだ。遺族の心痛が生々しいうちに外国に叩き売った道義的無責任はともかく、殺人現場の物的証拠をロクに調査もせずに廃棄し、しかも永久に調査が不可能になるリサイクル処分としたのだ。WTCばかりではなくペンタゴンやペンシルヴァニアのものも含めて、飛行機の残骸の精密な研究と調査がなされた形跡は無く、もはやその存在すら確認のしようが無い状態である。
犯罪の「凶器」を含む物的証拠が当局者の手によって消滅させられたのだ。
[映像資料について]
このようにほとんどすべての物的証拠が消されてしまった犯罪に関して、一体何をもって「事実」とすべきなのだろうか? この点が9・11を考える際の大きな分岐点になるだろう。以下の点については「当サイトからのご挨拶」や「水掛け論に陥らないために」にも書いたことだが、非常に重要な点であるので、再度詳しく採り上げることにしたい。
2001年9月11日に起きたことは、ビデオや写真という手段で大量の映像資料として記録されている。特にWTCの3ビルの崩壊については、TV各局が撮影したビデオ映像、一般の人々によるビデオ映像、プロとアマの写真家による写真画像が極めて豊富に残されている。またWTC建設に関連する昔の写真や記録やビデオ・テープ、人工衛星からの精密な写真映像、地図や建物の図面などがあり、これらのほとんどはインターネットを通して世界中の誰にでも公開されておりいつでも確認することができる。
大切な点は、こういった映像資料がすでに非常に数多くの人の目にさらされており、さらに多くの人々や団体によって正確にコピーされているため、誰かにとって都合が悪いからといって今さら変造や隠蔽が不可能なことだ。これはデジタル時代、インターネット時代の重要な特徴である。
逆に今さら「物証」を持ち出されても、それが本当に現場にあったものなのかどうか、どんな確証があるのか、ということになるだろう。事件以降に適当に捏造されたものではないか、という疑いを排除できなくなるからだ。つまりもし今から「物証」が持ち出されたとしたら、むしろ疑わしいものとして扱うべきであり、多くの方面の様々な立場の人々によってそれが検証されよほどしっかりとした科学的な証明が為されない限り、本物と認められないものであろう。
物的証拠が失われた以上は、このような映像資料を中心にして事件当時に発生した事実を割り出すよりほかに手が無いだろうし、またそれによって相当に正確な事実の再現が可能になるだろう。この事件の場合、ビデオや写真の映像こそ事実を知るための唯一確実な「一次資料」といえる。
ただ、映像資料といってもその信用度に様々なレベルがある。デジタル時代の現在では写真やビデオはかなり自由に取り扱うことができ偽造がたやすくできる。写真やビデオがあるからといって簡単に信用することはできないのだ。
さらにその被写体の信憑性が問題である。写真自体には偽造した跡が無くても、その被写体が本当に事件の現場にあったものなのか、元々無かったものを誰かが運んできて最初からあったかのように仕立てた可能性は無いのか、ということである。
こういった疑いが少しでももたれる映像は排除しなければならない。「ケチをつけ出したらキリがないではないか」と言われそうだが、しかしこの選別の作業は根本的に大切である。情報化時代には情報の信用度をどのように測るのかが最も大切な作業にならざるを得ない。
ここで映像資料で記録される現象が事実かどうかを判断する際の基準について、次のように提案したい。
@ 一つの画像で捕らえられているある現象が、別の場所からの別のカメラによる映像でも明らかに確認できること、
A その場合、それらの映像に記録される現象に矛盾が無く(ただし光の具合などによる色調の違いやカメラの性能による違いなどを除く)明らかに同一のもの、あるいは同種のもの、あるいは連続したものであると確認できること、
B 被写体が通常の手段で輸送や移動が可能であり捏造の可能性をゼロと断言できない場合、その実物あるいは映像と附合した正確な分析記録が存在すること。
お断りしておかねばならない点がある。確かに数多くの映像が当日TV局によって放映された。しかしその大部分は次の日から二度とTV画面に登場することがなかったのである。したがって現在インターネットなどで流されているビデオ画像のほとんどは、視聴者によって録画されたものか、あるいはおそらくTV局内からの「内部告発者」によって表に出されたものである。写真にしてもその大半は新聞や主要雑誌には全く掲載されたことがなく、その存在すら無視されているのだ。なぜか、という疑問はさておき、これもまた9・11を特徴付ける重大な事実の一つである。
[文書資料について]
公的・私的な様々の機関で作られた記録や文書類の内容にしても、それが人間の手で作られるものである以上、偽造や変造の可能性は常に付いて回る。また逆に、破壊・抹消され隠蔽された記録があるという指摘も数多くある。
地図や地震計の記録などは偽造・変造のしにくいものであり、先ほど述べたような基準で事実と見なされる映像にある現象の裏づけとなれば、これも「事実である」と信用して良い。また事件とは直接の関わりあいなく客観的な場で作成された建築に関する図面や資料、飛行機の構造などに関する図面や資料、およびそれらからの正確な引用なども同様だろう。
しかし、その他の記録や文書(公式文書を含む)はどうであろうか。
事件当日およびその前後の期間における、米国の政府機関や軍事組織その他の各公的機関の動きを記録した公的な文書については、厳密な時系列の分析を行った結果、各機関およびその担当者の行動や発言を、事実として疑いようのない事柄であると判断できるのであれば、それは信頼に足る情報であると分類できるだろう。
ただし担当者の発言や行動に関して、例えば「そのときの思い違いであった」「記録者の間違いだと思う」などという「撤回」が可能なもの、また情報源が一つしか無く検証のしようの無い資料は信頼に足る情報とは言えず「参考資料」として扱われるべきだろうし、信頼に足る他の資料や事実と矛盾するような記録は考慮する価値も無いだろう。
これは、物証をほとんど破壊されたからにはこれくらいの慎重さが無いと事実をつきとめることができない、という単純な話である。「○○の資料があるから事実だ」という軽々しい態度をとるべきではあるまい。
[テレビ、ラジオ、新聞などによる報道]
マスコミ関係の方々にはまことに申し訳ないが、マスコミによって報道されたから事実である、という断定はできない。9・11事件に関しては実際に、BBC、CNN、FOX、MSNBCなどの欧米の大TV網による疑問のある報道が存在している。
しかも先ほど申し上げたとおり、今となっては最も確実な資料である映像の大部分が、事件以来、ほとんど「ボツ」とされて二度とTV画面に登場することがなくなった。多くの新聞や雑誌が当日記録された画像を無視し続けている。このようなメディアに事実を追求する姿勢がどこまであるのか疑問に思わざるを得ない。
したがって、マスコミによる報道内容は、あくまでも今までに申し上げた確実と判断できる情報と比較してその信憑性を考えるべきものであろう。
[目撃者証言、容疑者の自白について]
一般に、目撃者の証言をどこまで信頼すべきかという点は非常に判断が難しいであろう。日本でいわゆる冤罪事件で「有罪の根拠」とされたものがほとんどの場合「容疑者の自白」か「目撃者の証言」であったことは言うまでもない。「自白があるから」「目撃証言があるから」事実である、などという断定は極めて危険だろう。
もちろん目撃者の全員が誤ったことを語っているわけでもあるまい。問題はどの証言が信用できどれが信用できないのかの基準であり、先ほど来の信頼に足る情報や映像と照らし合わせて、それらによって確認される事実と矛盾の無い場合にのみその証言を取り上げるべきである。決して目撃証言から事実を判断すべきではない。
さらにこの事件の場合、「容疑者の自白」など判断根拠とはなりにくいと言える。9・11事件の「容疑者」とされる者の中にはグアンタナモ米軍基地で数年間も拷問にさらされ続けている者すらいるのだ。
いかがであろうか? ここでもう一度、最初に取り上げた、証拠つまり「明確な事実を示すものごと」の取り扱い方について申し上げておきたい。
「証拠があるから真相は○○である」とは断定できない。決定的に大切なのは《「○○とは矛盾する事実」が存在しない》点だ。もしある説明が一つの事実と矛盾する場合、それはその矛盾がなくなるまで修正されなければならない。もし修正が不可能ならその説明は放棄あるいは「凍結」され、それを「真実である」と主張することはできない。
もしある説明がそれと矛盾する事実を意図的に無視する場合にのみ成り立つのなら、それはすなわち「虚構である」。
本サイトが以上述べたような判断基準に沿って編集されていることは申し上げるまでもない。訪問者諸氏には、どうか以上に申し上げたような基準をしっかりと持って、この、日本を含む世界中の国々に極めて重大かつ深刻な影響を与えた史上希なる凶悪犯罪についてお考えいただきたいと、切に希望するものである。
【第1ビル(北タワー)】
崩壊の全体像
上層階の消滅(1)
上層階の消滅(2)
水平崩壊!
吹き飛ばされた巨大な壁
立ち残るコア
【第2ビル(南タワー)】
崩壊の全体像
崩壊開始時の奇妙さ
上層階の回転と消滅
水平崩壊!
巨大な板状で落ちる壁
立ち残るコア
【ツインタワー崩壊の特徴】
超微粒子の《火砕流》
爆風の連続噴出
爆風の単独噴出
吹き飛ばされる外周の建材
熔けた金属
ツインタワー崩壊の総まとめ
【WTC第7ビル】
崩壊の全体像
崩壊の特徴
NISTの更なる大嘘
【ペンタゴン】
Eリング外壁の状態
ビル内部と「出口の穴」
照明塔とジェネレーター
【飛行機とハイジャッカー】
飛行機は「消滅する」のか?
彼らに操縦ができたのか?
【後書き】
これは我々自身の問題なのだ
メニューに戻る